「これは1959年にニッポンシャリョウ(日本車輌製造株式会社)により製造された日本のSL機関車です」。古びた機関車を眺めていると、ヒジャーズ・ヨルダン鉄道の職員だというアブドゥルさんが近寄ってきてそう言った。カメラを向けるとどこからわいたのか、5人ほどの職員がわらわらと集まってくる。そのうちのひとり、ナーデルさんの本業は運転士だそうだ。あとでわかったことだが、彼らはいまとってもヒマなのだった。
ヒジャーズ鉄道の歴史は長い。1900年代初頭、オスマン帝国がシリアのダマスカスとサウジアラビアのメディナを結ぶこの鉄道を開通した。当時は豪華な客車も造られ、巡礼者を中心に多くの旅客を運び、華やかな活気に満ちていたそうだ。しかし第一次大戦が勃発すると、オスマン帝国に対抗する“アラビアのロレンス”率いるゲリラ軍により鉄道は破壊される。それ以降は現在に至るまで、全線が修復されたことはないという。
残された線路のうち、ヨルダンのアンマンとシリアのダマスカスをつないでいたのが現在の「ヒジャーズ・ヨルダン鉄道」だ。国際列車として週2便ほど定期運行していたが、シリアの情勢が不安定なこともあり、乗客が減って運休になってしまった。それでも臨時便として、不定期にダマスカスまで走ることもあったが、空爆によりシリア側の線路が破壊され、運行は完全にできなくなった。