【IT風土記】佐賀発、職人芸継ぐ「デジタル技術」、有田焼の逆襲はじまる (1/2ページ)

佐賀県陶磁器工業協同組合の原田元理事長
佐賀県陶磁器工業協同組合の原田元理事長【拡大】

  • 佐賀県陶磁器工業協同組合の百武龍太郎専務理事

 誕生400年の節目を迎えた有田焼の産地として知られる佐賀県有田町で、ICT(情報通信技術)を活用して、有田焼の復活を目指す挑戦が始まっている。バブル経済の崩壊を機に、技術伝承の危機に陥った産地が、日本のものづくりの進化を支える革新技術を、伝統工芸品に応用しようという試みだ。コンピューター制御された「3Dプリンター」を活用する技術は、失われつつある職人の技を受け継ぐ“切り札”として期待が高まっている。(早坂礼子)

 業務用食器として重用

 有田焼は江戸時代の初めから佐賀藩の保護と監視のもとで順調に発展した。明治時代にはパリ万博で最高名誉賞を受賞して世界に認められ、昭和の高度経済成長には国内需要が急拡大して広く親しまれた。

 透明感のある白地に、赤や緑、金銀など華やかな絵付けの有田焼の器を重用したのはホテルや旅館などの宿泊施設だ。右肩上がりの経済成長の中で、結婚式や宴会需要が旺盛で、消耗品である食器を大量に発注することが多かったという。有田焼の産地にとっては、こうした大口顧客による安定的な取引に支えられ、安泰な時期が長期間続いた。

 ところが、1990年代初めのバブル期をピークに有田焼の産地は凋落の長いトンネルに追い込まれ、現在に至るまで、スランプを脱出できないでいる。有田焼の窯元や商社で構成する佐賀県陶磁器工業協同組合の製品出荷額は、1990年前後の約420億円から昨年は約95億円と大幅に減少。工業用セラミックなどを除く食器ベースの生産額でみても現在は約80億円とピーク時の7分の1の水準に落ち込んでいる。

売れ筋のデザインにシフトしようとしても感性が追いつかず…