細野さんのバージョン1.0時代を総括する視点はこうだ。バブル崩壊まで大学も住民も大移動して、「郊外時代」は多摩地区にとって僥倖(ぎょうこう)だった。バブル崩壊によって首都圏は夢の時代を早々に卒業した。しかし、多摩地区は自治体の危機感が薄く、「平成の大合併」も見送った。
隈研吾さんの言葉を借りるならば、多摩地区はいま「郊外の夢」からようやく覚めたのである。大学と住民の「都心回帰」によって、将来的な人口減少と少子高齢化の現実に向かい合わなければならなくなった。
「ネットワーク多摩」が描くバージョン2.0は、大学間の連携と地域の人材育成、国際交流を成し遂げようというものである。多摩地区には戦前から航空機、電機メーカーが集積した歴史から、中小企業の中にもアジアを中心に拠点を置いているところが少なくない。大学生が都心回帰する中で、留学生の数は増えている。インターンシップを通じて人材育成ができるのではないか、と細野さんは強調する。
多摩地区の企業が出資する「多摩未来奨学金」制度や「まちづくり・ものづくりコンペティッション」など、新たな産官学の在り方を模索している。
多摩ニュータウンの入居者の第1号の人々が夢を見た、諏訪2丁目の団地が再開発されて、戸数を増した高層マンションとして生まれ変わったのは13年秋のことである。旧住民に加えて若い層が新入居した。地域は新しい夢を紡ぎつつある。(田部康喜)
■たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。東北大法卒。朝日新聞経済記者を20年近く務め、論説委員、ソフトバンク広報室長などを経て現職。62歳。福島県出身。