日本で台湾音楽を楽しむ「台ワンダフル」が開催、年々盛んになる音楽交流 日台関係を統治時代から振り返る 戦後は台湾に日本の歌謡曲、アイドルの影響大きく (4/8ページ)

「台ワンダフル」の「カルチャーの部」では台湾の人気絵本作家による絵本や雑貨などが販売された=18日、東京都渋谷区(金谷かおり撮影)
「台ワンダフル」の「カルチャーの部」では台湾の人気絵本作家による絵本や雑貨などが販売された=18日、東京都渋谷区(金谷かおり撮影)【拡大】

  • 「台ワンダフル」の会見に出席した台北駐日経済文化代表処の郭仲煕副代表(前列右)、同イベント顧問の葉湘怡さん(同左から2番目)、台湾文化センターの朱文清所長(同左)、歌手の陳恵●(=女へんに亭)さん(2列目右)、鼓鼓さん(同右から2番目)、映画監督の魏徳聖さん(同左)=18日、東京都渋谷区(金谷かおり撮影)
  • 日本統治時代の台湾で発行されていた新聞「台湾日日新報」で、1938(昭和13)年5月16日に掲載されていた「ビクターレコード」の広告=「広告表示」(陳柔縉著、麦田出版、2015)より
  • 日本統治時代の台湾で発行されていた新聞「台湾日日新報」で、1936(昭和11)年9月1日に掲載されていた「台湾コロムビア」の広告=「広告表示」(陳柔縉著、麦田出版、2015)より
  • 「台ワンダフル」でライブを行った歌手の鼓鼓さんは、ダンスや歌に加え、日本語を織り交ぜたフレンドリーなトークで来場者を楽しませた=18日、東京都渋谷区(金谷かおり撮影)
  • 「台湾ロックの父」と呼ばれる倪重華さん(右)と、中華圏で人気の高いロックシンガーの伍佰さん=7月29日、東京都港区(金谷かおり撮影)
  • 倪重華さん(左)と、音楽評論家の関谷元子さん=7月29日、東京都港区(金谷かおり撮影)
  • 「台ワンダフル」では、日本でも人気となった映画「海角七号君想う、国境の南」の監督で映画「KANO1931海の向こうの甲子園」をプロデュースした魏徳聖監督の新作「52Hzのラブソング」の日本公開が発表された=18日、東京都渋谷区(金谷かおり撮影)

 1947年、反発した市民と当局による大規模な衝突「二・二八事件」に発展し、当局による武力鎮圧が行われた。その後49年~87年の間、戒厳令が敷かれた。

 長年に渡り台湾の音楽産業を牽引(けんいん)し、「台湾ロックの父」と呼ばれる倪重華さんは56年、台北市で生まれた。戦後の台湾は米国の軍事、経済的支援を受けていたため音楽を含む文化においても米国の影響を受け、倪さんは「子供のころから西洋音楽を聴くのが好きだった」という。

 一方で、主に60年代以降の台湾では「日本の歌が数多く台湾語の歌に翻訳され、その数は500曲を超えていただろう」と話す。

 「日本語で育った世代の人の中には日本のメロディーを懐かしいと感じる人たちがいた。ただ政府は、特に72年に日本と台湾が断交してからは日本の音楽や映画を厳しく禁止するようになった。このため、歌の『翻訳』が盛んに行われていた」。三橋美智也の「赤い夕陽の故郷」、橋幸夫の「雨の中の二人」、千昌夫の「北国の春」などのヒットソングが台湾語の歌となり、今でも台湾を訪れると耳にすることがある。

 80年代になると、「台湾新ポップス時代」(倪さん)が訪れた。それは日本のアイドル黄金期の影響を少なからず受けていたといい、「当時、日本では男性アイドルグループ『少年隊』が人気を集めていましたが、断交後だったのでそのまま台湾に持ち込むことができない。そこで、『少年隊』をイメージした『小虎隊』というグループが台湾で誕生し、人気を集めました」。

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