「モデル」が見えない不安に束縛されない 世界の経営史から考える  (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 この夏の休暇中、企業経営史の本を何冊か読んだ。その中にあったいくつかのデータが頭からなかなか離れない。

 1つは1920年代の各国別の自動車所有台数だ。米国は人口1千人あたり160台以上。英国は15台、フランス13台、ドイツとイタリアはたったの3台であった。

 2つ目は経営大学院である。1881年に米国にペンシルベニア大学ウォートンスクールが創立、27年後にハーバード大学にもビジネススクールができ、1914年までに米国には30のビジネススクールが存在し毎年およそ1万人が卒業していた。

 また19世紀後半、マサチューセッツ工科大学など技術者を育てる教育機関も整備されていった。

 3つ目は同時期、つまり19世紀後半以降、ドイツも技術教育には力を入れた。1910年、工学系の履修者は年間1万6千人以上いた。一方、英国では1100人を僅かに超えた数であった。

 4つ目は英国の工学系の履修学生数がドイツと比較して圧倒的に少ないだけでなく、英国で経営に関する高等教育は殆どなかった、という事実だ。

 言うまでもなく、18世紀後半から19世紀前半の第一次産業革命の覇者は英国であり、19世紀後半から20世紀前半の第二次産業革命は米国によってリードされた。特に米国に発達した大企業が多くを変えた。

 それが自動車の普及率と経営大学院の卒業生の数にも表れている。

イタリアらしさの最後の抵抗