イタリア人はなぜ遅刻するのか? 日常生活のなかで観察を促す幼児教育 (2/3ページ)

 同センターのマリーナ・カスタネッティ氏は、いくつかの質問にまとめてコメントしたが、以下が前述の質問への回答と考えてよいだろう。

 「レッジョ・エミリア・アプローチは方法ではない。私たちの土地の歴史とコンテクストに基づき、子供たちに多くの可能性を提供することでコミュニケーションの機会を増やすアプローチに過ぎない。あなたたちはあなたたちにあったやり方を考えておやりになればいい。 

私たちが理想とする大人像もない。あえて望みを言うなら、良き大人になれば、ということだけだ」

 カスタネッティ氏の「多くの可能性を提供する」とは、「日常生活のディテールにある意味をなるべく多く見つけ出すような子供に育てる」ことである。それによって子供が多様な人たちとの交流が図れるようになる。これ以上を大人が望むべきではないのだ。いわんや、経済の話はお門違いである。

 イタリアのライフスタイルは、日常生活のなかでの観察を促す知覚を重視する。遅刻をひきおこすジグザグ歩行にある背景だ。この文化をより先鋭化したアプローチが、レッジョ・エミリアの幼児教育だと解釈できる。

 ジグザグ歩行による意味の探索だ。イタリア語でこの行為あるいはプロセスを「ricerca」というが、日本語でよく「研究」と訳される。レッジョ・エミリア教育の説明でも頻出する。

 が、幼児が研究というのも似合わない。

 ぼく自身、色々なシーンでricercaの日本語の適語を考えてきたので、イベント終了後、通訳をされた渡邊耕司さんに、どういう言葉が適切か聞いてみた。

日常生活で何かを探し歩く