【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】堀川城攻め(浜松市西区) 家康のもっとも残酷な戦 (2/2ページ)

徳川軍に討たれた首をさらされた獄門畷。供養費には「堀川城将士最期の地」とある
徳川軍に討たれた首をさらされた獄門畷。供養費には「堀川城将士最期の地」とある【拡大】

  • 堀川城跡とされる一角は多くの犠牲者を祀る首塚に囲まれている=浜松市北区細江町気賀

 さらに落城後も多くの敗残兵を探し出して気賀呉石の土手で斬首、村人の半数以上に当たる2千を超す首がさらされた。そこは「獄門畷(なわて)」と呼ばれ、龍潭寺の南渓和尚らが赴いて供養したかもしれない。反徳川勢力への見せしめ的な意味合いもあるが、家康の生涯で、もっとも残酷で悲惨な戦いだったといえる。

 堀川城は、湖北をめぐる街道(後の姫街道)や水上交通の要衝として位置付けられていた。『三河物語』でも「水城的な要害地」とある。現在は、都田川沿いの田園の中に城址碑が建ち、首塚が点在している。河川工事などに伴い城の正確な所在地は不明である。(静岡古城研究会会長 水野茂)

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