「床屋談義」が楽しくなってきた 深い経験と結びつく外国文化の理解   (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 ぼくの通うミラノの床屋は「床屋談義」がとても盛んで、話題の7-8割はカルチョ(=サッカー)である。「口角泡を飛ばす」を絵に描いたような風景だ。

 通うといっても、今年に入ってから行き始めた床屋だ。これまでの20年ほど、いわゆる美容院に通っていた。理由がある。ヘルメット形状の頭を標準とするイタリア人の理容師は、それ以外の頭の形に馴れていない。美容師の方がバリエーションある判断ができることが多い。

 ただ、イタリアに来た当初の数年間は床屋だった。政治とカルチョの世界で、社会勉強もかねていた。が、ヘルメット型以外への技術がちっとも進歩しないと見限ったぼくは、美容院へ転向したのだった。

 技術だけでなく、政治やカルチョの話ばかり飛び交う場所にいるのが飽きたのもある。美容院の方が、子供の教育や家族のことなども耳にするので(有名人のゴシップもあるが)、それはそれでためになった。

 一方、街のバールがコミュニティとしての機能が低下してきた。それまで政治とカルチョの議論に強くなるのにバールは恰好の場だった。が、ミラノの街中のバールは、その役割がだんだんと変化してきた。バールはカフェになり、かつての時間を持て余した人たちの交流の場でなく、移動中のビジネスマンやスマートフォンを眺めながらエスプレッソを飲む場になってきた。

 そうしたら、だんだんとカルチョに盛り上がる昔ながらの床屋の空気が貴重に思えてきたのである。一時はウンザリしたが、なければないで欲しくなる。

カルチョも政治も世間話の定番といえなくなってきた