【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】井伊家再興(浜松市北区) 激動生きた希代の“女城主” 墓所は生前結ばれなかった直親の隣に (1/2ページ)

次郎法師(直虎)の法号にちなみ建立された菩提寺の妙雲寺。観光客は少なくひっそりしている=浜松市北区神宮寺町
次郎法師(直虎)の法号にちなみ建立された菩提寺の妙雲寺。観光客は少なくひっそりしている=浜松市北区神宮寺町【拡大】

  • 龍潭寺境内にある松岳院跡地

 次郎法師(直虎)は桶狭間で戦死した直盛の一人娘(大河ドラマの「おとわ」)で、一門の亀之丞(直親)とは許婚(いいなずけ)の関係であったが、その父・直満と同様に直親も今川氏への謀反の疑いで誅殺(ちゅうさつ)された。直親の子、2歳の虎松にも危険が迫り、鳳来寺(新城市)へ逃れ匿(かく)まわれた。

 永禄5(1562)年頃から、遠江国では今川氏から離反する土豪、国衆が相次ぎ、「遠州●(=公の下に心)(そう)劇(げき)」という乱国になった。さらに、井伊氏一門への疑いと、忠義を求める今川氏真は、永禄6年、徳川家康に内応した飯尾連龍の引馬城攻めに際して、直虎の曽祖父・直平が戦場へ行く途中で毒殺(説)させた。

 翌7年、この戦いで矢面に立たされた井伊軍は苦戦し、直虎の伯父にあたる新野左馬助親矩と家老の中野信濃守直由らが戦死した。この20年余り一門の男子7人が相次いで亡くなり、残るは幼い虎松一人だけであった。

 この井伊家の窮地を「直虎が救った」とするのが通説であるが、筆者は南渓(なんけい)瑞聞(ずいもん)和尚がいう『井伊家伝記』の「次郎法師は女にこそあれ、井伊家総領に生まれし候間」という意味を留意すると、権力者の支配を受けない不入特権の龍潭寺の存在と、井伊一門である南渓の秘策であったと理解したい。

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