「ゼロ」とは何を意味するのか コンテクストの存在感を意識しながら考える (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 「世界はフラットだ! 現在のマーケティングは世界各地にいる同じ感覚をもった人たちを視線の水平移動ですくっていくことだ」

 こう語る人が5年以上前には多くいた。ローカルで括るのではなく、グローバルの「あるレイヤーなり感覚」がキーになる。

 その頃、ぼくがよく強調していたのは、「(日本でのロジカルシンキング志向のように)ハイコンテクスト文化の人たちはローコンテクスト文化に近寄り、(欧州人の曖昧性志向のように)ローコンテクスト文化の人たちはハイコンテクスト文化に憧れる傾向があるが、両者の絶対的な差は大きい」ということだ。

 ローコンテクスト文化の筆頭にあげられるスイスの東洋思想に心酔する人であっても、日本の数理的に考えることを大切にする人よりもロジカルであることが往々にしてある。

 こういうローカルコンテクストの「しつこさ」を見過ごすリスクに目を向けるのが大切、とぼくは言っていた。が、一方でローカルコンテクストへの依存があまりない人が出現しているのも確かだろう、という感覚も同時にもっていた。

 あの頃から数年を経た現在ぼくが思うのは、一見同じようなテーマを同じようなセリフで言っていても、歴史と文化が異なれば、かなり違ったニュアンスになることにどれだけ気がつけるか?である。ぼく自身が思っていた以上にローカルコンテクストの呪縛は「しつこい」。

 先週、バルト三国の一つ、リトアニアの大学の先生たちと話していた時、このことをふと思い出した。

先進国とは切実さのアングルが違うリトアニア