【新・仕事の周辺】井坂洋子(詩人) ひらめきはめったにこない (2/3ページ)

 晩年にベストセラーになった『女ひと』というエッセーに、「新女苑」という雑誌の投稿欄の選者をしていた頃、才があって注目していた少女の話が載っている。

 お会いしたいという彼女の手紙に、承知したと返しても、彼女はなかなか訪ねてこない。半ば忘れかけた時分に、今新宿の酒場で働いているという手紙がくる。詩が一篇同封されていて、犀星は感心し、「新女苑」に載せてもらえるよう手配する。

 そして彼女がやってくる。小柄でメガネをかけ、黒い外套を着た「鉄道省の給仕さん」のような彼女は、自分の詩が掲載されることを少しも喜ばず、「お婿さんが一人ほしいんです」と言って帰っていった。犀星は「一生のうちに一つしか書けない詩」であったのだろうと述べている。誰しもが一篇の詩は書ける。その人の生きた軌跡そのものが一篇の詩だということもできるだろう。

 長く書いていると、着想というひらめきはめったにやってこないことがわかる。また、生きていて動いて、何かを感じてという活火山めいたところがないと一行も書けない。自分が生きている実感があるかどうかの試金石なのだ。