言葉の海で溺れずきれいに泳ぎ切りたい 過剰な「自己防衛」に使うことなかれ (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 今週、成田空港でミラノに戻る飛行機に搭乗する時のことだ。

 ゲートを通過する直前、欧州人のオバサンがぼくを抜いた。瞬間的に「どうして抜かすのですか?」と聞くと、「だってあなたは列に横はいりしたから」と答える。そして続けざまにぼくを非難する。

 「あなたは日本人なのに、日本のマナーを知らないのか」と。

 ゲート前の混雑でぼくが列の最後を見間違えた可能性はあるが、後味の悪いのは、彼女のクレームの仕方だ。

 こういう台詞がスッとでてくる人をぼくはあまり好まない。例えば、「あなたはイタリア人なのに、イタリアのやり方を知らないのか?」などと、日本人のぼくは口が裂けても言わない。言うならば、もう少しユニバーサルな見地から言いたい。

 彼女が日本に生活している人か観光で滞在した人か分かる術はなかったが、こういう言い方を頻繁に日本人に向かって使っていたかもしれない。または、日本滞在で鬱憤が溜まっていたのかもしれない。いずれにせよ、あの人はどこの国に行ってもこういうクレームを放つのだろう。ほんのちょっとしたことにも、高飛車に出る。

 ミラノの自宅に戻り、夕食をとりながらこのエピソードを奥さんに話したら、「ああ、オバサンなのよ」と一言。「どういう意味?」と尋ねると、「自分を有利な位置に導くためには、何でも利用するオバサンの図々しさよね」と解説する。 

 そうしているうちに、次元の違うことにぼくは想いを馳せた。日本の人が海外旅行の武勇伝で語る「よくある例」だ。

ことは言葉の流暢さではない