【乃村工藝社会長の足跡:前編】酒も飲まず“夜の銀座”に半世紀通った理由 (3/4ページ)

乃村工藝社の渡辺勝会長
乃村工藝社の渡辺勝会長【拡大】

 かばってくれた課長とは、連日のように昼食をとりながら情報を交換し、気持ちが通じていた。午後は帰社して部下と打ち合わせ。夕食に出前をとって仕事の手配をすると、夜は「渡辺流を変えるわけにもいかない」と銀座へ。日々の仕事は徐々に部下に渡していったが、銀座や六本木の夜は自分でこなす。そんなだから、会って10年が過ぎても、お客からの電話は「ナベちゃん、いる?」だった。

 「愛爵禄百金、不知敵之情者、不仁之至也」(爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり)--間諜に爵位や俸禄、わずかなお金を与えることを惜しんで敵情を知ろうとしない者は、兵を無駄に死なせる配慮のない人間だ、との意味だ。中国の古典『孫子』にある言葉で、「情報収集に金を惜しむな」と説く。ビジネスでも同様、多様な情報が集まる銀座に着目し、自腹も含めて通った渡辺流は、この教えに重なる。

 無遅刻無欠勤、物事はきちんと

 1947年2月、東京・南千住で生まれる、両親と兄3人、姉2人の8人家族。地元の小中学校から都立忍岡高校へ進み、絵が好きで、3年のときに絵画部に入ってスケッチなどを楽しんだ。1浪後に獨協大学経済学部へ入学、十数種のアルバイトを経験し、小遣いは自ら稼いだ。絵画部の先輩がいた乃村では、冒頭で触れたようにPOPを2年ほど手伝った。

 いろいろな体験のなかで、結局はPOPづくりが一番面白く、就職先に選ぶ。70年春に入社、POP広告部へ配属され、電機メーカーの営業を担当した。始業は朝9時半。でも、大半が10時半ごろまで出てこない。そんななか、1年間、無遅刻無欠勤で表彰された。時間には正確で、物事はきちんとやらないと気がすまないほうだ。

 商談では、100万円単位の販促品の制作なら、30項目くらいの経費を、何円何銭まで細かく出した見積書をつくる。若いときは、いつも、その計算係。子どものころ、実家の酒屋が筆で書いた漢数字の伝票から売り上げを計算していたためか、父母は子どもたちに習字か算盤を習わせた。自分は算盤塾へいき、小学校6年で珠算1級をとり、暗算が得意だった。

古き友を訪ねるような気持ちで