【乃村工藝社会長の足跡:前編】酒も飲まず“夜の銀座”に半世紀通った理由 (4/4ページ)

乃村工藝社の渡辺勝会長
乃村工藝社の渡辺勝会長【拡大】

 やがて、商談を聞いているうちに、それにはどんな経費がいくらかかり、収益はどうなるか、頭で暗算するようになる。当然、「収益重視」も身についていく。それに気づいた上司に以降、見積もりはすべて任された。お客への日参と「爵禄百金」を惜しまぬ情報収集、それに暗算力がかみ合って、電機メーカーとの取引額は数年で6倍になった。

 四十代半ばは交通事故に遭い、アキレス腱を切って3カ月もギプスをはめて出社するなど、嫌なこともあった。でも、これは、誰にでも大なり小なりある波だろう。同じ時期、自分でも「あれは、でかかった」と胸を張れる仕事も、やり遂げた。ある自動車メーカーの国内販売網の刷新に、企業理念や行動指針などを示すコーポレート・アイデンティティー(CI)の展開を受注。全国600店の看板を取り換え、うち480店の内装を新調した。模様替えは91年2月から8カ月半かかり、準備期間も含めて指揮を執る。年間に約70憶円もの売り上げになる大型プロジェクトだから、商談にもときどき同行し、相手の役員や大きな販売店の社長たちへの対応も、引き受けた。もちろん、夜の部もだ。

 2007年5月、社長に就任。翌年秋にはリーマンショック、4年目には東日本大震災が起きて、逆風が吹きつけた。明日の後編で触れるが、震災復興やスカイツリーの開業など、前向きな舵取りもできた。そんななか、銀座通いも続く。かつてのような会話や情報はもう望めないが、古き友を訪ねるような気持ち。酒を飲まないからこそ、半世紀も続いている。

 乃村工藝社 会長 渡辺 勝(わたなべ・まさる)

 1947年、東京都生まれ。70年獨協大学経済学部卒業後、乃村工藝社入社。93年取締役、97年常務、2003年専務、07年社長。15年5月より現職。

 (乃村工藝社 会長 渡辺 勝 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)

 ※後編「稼ぎ頭の司令官を“逆風下”へ投入した成果」は明日9月23日に配信します。(PRESIDENT Online)