「接待の仕方」がもたらす意外感の謎 富豪の饗宴でなぜ満足できないのか (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 人のことはよく分からない。接待の仕方もその1つだ。

 ある“富豪”の友人について話をする。世界の何か所に別荘を持っているが、イタリア国内のセカンドハウスも見渡す限り彼の土地が続く。

 そんな彼の都会にある自宅や別荘で、ご馳走してもらう食事がイマイチなのだ。他人の家に招かれて、そこで提供されたものに文句をつけるなどマナー違反も甚だしい。十分に承知している。正直、話題にすべきか迷った。

 ただ、彼が何を大事にするのか、ぼくはよく分からないのだ。

 言うまでもなく、彼は外では高級レストランでレベルの高い料理も満喫している。舌のレベルが劣るわけがない。自宅に大勢を招いたパーティには、そういうレストランのシェフが彼の厨房で腕を振るう。

 彼の奥さんの料理のセンスが徹底してダメ、というならば、ぼくもこういう「不思議」について書かない。だが、彼の奥さんはそもそも殆ど料理をしない。

 広大なダイニングルームは建築家がバッチリと決めたインテリアデザインで、テーブルにはテーブルクロスから皿の1つ1つに至るまで、とても手が込んでいる。キャンドルもムードがある。

 数人の友人たちとの食事では、住み込みの「コック」が白いユニフォームを着て料理を運んでくる。とすれば、ある程度のレストランの味が提供されるだろう、と期待するのが人情だ。

 あまりに舞台装置が良いから「あれっ?」というだけでなく、とても言いにくいが、それはもう絶対的な評価として「えっ?」なのだ。

 あとでの会話でそれとなく分かるのだが、他の招かれた客もぼくと同じ意見である。

住み込みの「コック」の存在