退社時間を意識できない“過労社会”の異常…いまこそ「残業学」の知見が必要だ (5/5ページ)

 「やらないこと」をジャッジするマネジメント

 「漢方治療」のキーとなるのは、「マネジメント」と「組織開発」です。

 まずはマネジメント。コンプライアンス遵守が叫ばれる昨今、マネジャーの課題はかつてないほど高難度になっています。大変な割に給与面でもうまみが少ないとしたら、いまや誰も管理職になりたがらないのは当たり前ですよね。

 しかし整理してみると、いま現場のマネジャーに求められているのはただ一つ「残業を減らして、かつパフォーマンスを上げるマネジメント」で、これができるマネジャーの人材開発が必要となります。とりわけ、「やるべきこと」を見極めるために「やらないこと」をジャッジするという、マネジメント層にしかできない仕事をこなすため、自分の判断の軸をブレずに持つことが極めて重要です。

 次は、「組織開発」。残業の感染や集中を起こさないためには、「業務」「コミュニケーション」「時間」、この3つの透明性が担保されている組織開発を目指さなければなりません。つまり、「誰が・何を・どんなふうに行うか」を明確化し、上司・部下のわけ隔てなく、従業員同士が相談しあえる風土を保ち、就業時間をはっきりと意識するようにする、ということです。

 繰り返しになりますが、これらの「外科手術」と「漢方治療」の両輪を、人事部と現場だけではなく、経営陣が「会社が儲かるための施策」として断行していかなければいつまで経っても変わりません。

 「労働者を呼んだのに、来たのは人間だった」

 入管法改正にしろ、これだけ外国人労働者を呼び込もうとしてもうまく集まらない現状を見るにつけ、思い出す言葉があります。

 「労働者を呼んだのに、来たのは人間だった」--20世紀のスイス人作家、マックス・フリッシュの言葉ですが、要するに、いくら国が労働者を求めたところで、来るのは人間であって、その人たちはここで恋に落ちて、子どもを生んで、何世代も生活していくわけです。

 僕は教育学部出身ということもあり、どうしても教育のことが気にかかるのですが、そうなったときには、今の学校に支えるリソースはないし、だからといって放っておくと、不満を持った若者がたくさん出てくる……今のフランスのような状態になる。だからこの問題は、とくに教育と医療に関する議論を抜きにしてやるのは危険です。

 長時間労働の果ての「過労死」「過労自殺」をどう防ぐか

 --長時間労働が行き着く最悪のケースが、過労死や過労自殺です。NHKや電通といった大企業でも痛ましい事件が報じられました。特に長時間労働とハラスメントなどが合わさった、いわゆる“二重苦、三重苦”のケースはどう捉えればいいのでしょうか。

 「過労死」は不名誉極まりない日本語であり、かつ英語にもなってしまった言葉なので、わたしたちは「死語」にしていく覚悟を持たなければなりません。ただちに、これは行うべきことです。また、メンタルリスクに関して言うと、“二重苦、三重苦”という言葉は示唆的で、深刻なケースに陥りやすいのは、長時間労働に加えて、上司のマネジメントが機能不全になっている、会社の労務管理がゆるいなど、すべてのセーフティーネットが破られたときだと思います。セーフティーネットが次から次へと破られていくと、最後に行き着くのは、致命的なリスクです。そういったケースは、金輪際ゼロにしてかないといけない。

 そういう意味で、平成は昭和の悪い部分をアンインストールしきれませんでした。次の時代では新しい時代の職場環境を作っていく--3年後はまだ無理だと思うけど、10年後、20年後には、『残業学』がもう必要なくなり、読まれなくなるような社会に変えていきたいですね。

 中原 淳(なかはら・じゅん)

 立教大学経営学部 教授

中原淳『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(光文社新書)

中原淳『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(光文社新書)

 1975年生まれ。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学准教授などを経て、2018年より現職。大阪大学博士(人間科学)。専門は人材開発・組織開発。立教大学経営学部では、BLP(ビジネスリーダーシッププログラム)主査、リーダーシップ研究所副所長をつとめる。著書に『職場学習論』『経営学習論』(いずれも東京大学出版会)などがある。研究の詳細は、「NAKAHARA-LAB.NET」。

 (立教大学経営学部 教授 中原 淳 聞き手・構成=的場容子 撮影=プレジデントオンライン編集部)(PRESIDENT Online)