希少がんと共に生きる

男子高生の熱い思い 母が乳がん、そのとき彼は (1/4ページ)

 ここに「がん患者の親をもつ、思春期の子どもたちへのサポート活動計画書」と題した、4ページにわたる文書がある。作成者は東京都港区の高校3年、本藤幹己(ほんどう・もとき)くん(18)。そこにつづられた文章に、筆者(48)は心が揺さぶられた。

 「感受性が強かった私は、家庭の大黒柱であった母ががんを発症したことにかなりのショックを受けた。(中略)母が苦しむ姿を見る中、『自分が支えにならなければ』という考えが先行してストレスがたまり、心がすり減っていくことに気づかなかった」

×  ×  ×

 平成28年6月、中学3年のとき、母、克子さん(50)は乳がん(ステージ2)を告知された。

 「『手術をすれば大丈夫』とお医者さんはおっしゃっているから」

 克子さんは幹己くんにそう説明し、安心させようとしたが、黙ってしまった。体調を崩し、学校を2日間休んだ。あまりのショックで、このときの記憶は彼にはない。弟は当時小学6年生で中学受験を控えた大切な時期。克子さんは、弟の話し相手になってほしいと思っていたが、任せられる状態ではなかった。

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