教育、もうやめませんか

福沢諭吉は異議を唱えていた 訳語が違えば日本も変わっていたかもしれない (1/3ページ)

野村竜一

 我々がサイエンスに特化した教育機関を設立する目的のひとつが「学び方」のアップデートである。学びとは人から教わるものであるという考え方から、自らが多様なアプローチによって知識や方法論、物の見方を獲得するものであるという考え方へのシフトチェンジだ。教育者と呼ばれる人にとっては、教えることよりも、人が育つ環境を作ることこそが「education(エデュケーション)」だという考え方への転換を拡張・加速させたい。

 本連載タイトル「教育、もうやめませんか」は、「教えて育てる / 教わって育つ」というスタイルの学びを次のステップに持っていく同志を探したいという思いからつけたものだ。

「学びは教育にあらず」は決して新しい概念ではない

 人に物事を教えることを、学びを提供することの本質とせずに、人が伸びる環境設計に注力することをeducationの本当の姿であると、130年前に唱えていた人物がいた。江戸から明治期の武士であり蘭学者、思想家であり教育者でもある福沢諭吉である。彼は著作「文明教育論」の中で以下のように書いている。

「もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし、かえりみて世間に行わるる教育の有様を察するときは、よくこの標準に適して教育の本旨に違(たが)わざるもの幾何(いくばく)あるや。我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず」(福沢諭吉「文明教育論」より抜粋)

 私の解釈も多少入るが、福沢諭吉は「学校というのは人にものを教えるところではなく、人が発達するのを邪魔せず促進する環境である。だからこそ、(educationに当てられた)「教育」という言葉は適当ではない」と言い、「教育」の代わりに「発育」という言葉を用いるべきと提唱している。

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