趣味・レジャー

なぜ由布院は13年連続で「温泉日本一」か 必死で残した「日本の原風景」 (2/4ページ)

 旅館オーナーはなぜ“レジャー化”を阻止したのか

 筆者が初めて由布院を訪れ、中谷氏を取材したのは17年前の2002年秋だ。東宝撮影所の元助監督だったが、父の死により20代で帰郷して「亀の井別荘」を継ぎ、当時は60代。観光業界の大物というよりも、軽妙洒脱な「宿屋の主(あるじ)」だった。

 「地形的に見ても歴史的に見ても、由布院は男性的ではなく女性的な町です。だから他から“お婿さん”が来て、力を貸してくれるのはありがたい。ただし由布院には“家訓らしきもの”があるので、それは守っていただきたい」

 この言葉が印象的で、溝口氏からは「由布院が目指したのは、昔ながらの『懐かしさ』。われわれも“宣伝”ではなく、由布院はこんな町ですという“表現”をした」と聞いた。下の世代にも取材し、参考文献を読むうちに「家訓らしきもの」の2つが明確になった。

 ひとつは大正時代にまとめられた「由布院温泉発展策」。東京の日比谷公園や明治神宮などを設計した日本初の林学博士・本多静六氏が、由布院に来て語った講演録をまとめたものだ。特に次の一節を大切にする。

 「ドイツにある温泉地バーデン=バーデンのように、森林公園の中にあるような町づくりをするべきだ」

 もうひとつが1971年に中谷氏、溝口氏、志手氏の3人が視察した欧州貧乏旅行の成果だ。現地視察の際に、ドイツのバーデンヴァイラーという田舎町の小さなホテルの主人で、町会議員でもあったグラテボル氏が語った、次の言葉が町づくりの大きなヒントとなった。

 「町に大事なのは『静けさ』と『緑』と『空間』。私たちは、この3つを大切に守ってきた。100年の年月をかけて、町のあるべき姿をみんなで考えて守ってきたのです」

 この言葉に感銘を受けた3人を中心に、「昔ながらの景観」を維持したのだ。

 レシピの共有、“素泊まり”も先駆けて始める

 由布院では、「静けさ」「緑」「空間」の言葉は若手世代からも出る。なぜ、それが可能なのか。さまざまなキーワードを掲げて、中小の会議や懇親会を行い、意識を共有するからだ。

 例えば、1998年から続けた「ゆふいん料理研究会」。由布院の各旅館や飲食店の料理人が集まり、「由布院らしい料理」の意見を出し合った。料理のレシピを隠すのではなく、時にはさらけ出す。

 「泊食分離」も掲げてきた。旅館の1泊2食形式ではなく、宿泊と食事は別々でもかまわない--というもの。今では珍しくないが、先駆けとなる活動を高度成長期に提唱した。

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