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「エゾシカ」展で知る害獣の実像 ヒグマより身近でもキャラ化されない理由は

 ニホンジカが全国的に急増し、農作物の食害や水源林の荒廃、列車との衝突が各地で深刻化した。しかし、頭数を減らすための駆除には「命を奪う」との批判もある。こうした野生動物と人間との関係を考える機会にしようと、北海道に生息するニホンジカに焦点を当てた企画展「エゾシカ」が、札幌市の道立北海道博物館で開かれている。シカをめぐる歴史からジビエ(野生鳥獣肉)料理まで、多角的な視点で害獣の実像に迫る。(寺田理恵)

 身近な野生動物

 ニホンジカは、地域によってホンシュウジカやキュウシュウジカなどの亜種に分けられている。エゾシカも亜種(種の下の区分)の一つ。体が大きく、雄は体重130キロにもなる日本最大の草食獣だ。

 畑の大豆や牧草を食べたり、樹皮を食べて森を枯れさせたりといった農林業被害は年約40億円に上る。近年は年10万頭以上が捕獲され、一部はジビエとして出回るようになった。

 また、しばしば列車と衝突して遅延させ、市街地にも出没するが、ほとんどニュースにならないほど身近な野生動物となっている。

 だが、同博物館学芸主幹の水島未記さんは「ヒグマがマスコットキャラクターや木彫に使われるのに比べ、エゾシカはあまりキャラクターにされない」と指摘する。明治時代の初めに絶滅寸前まで減少しており、かつては身近にいなかったためとみられるという。

 生息域は道東から西へ

 明治政府が設置した官庁「開拓使」は、エゾシカを産物として重視し、なめし革や肉の缶詰などが製造された。開拓使は欧米にならって猟期を定めるなどの対策もとっていた。

 しかし、乱獲に加えて明治12(1879)年の大雪による大量死が起き、絶滅寸前まで減少。企画展では、人間とエゾシカとの関わりの歴史をたどる。

 エゾシカ猟は長い禁猟期を経て昭和32年から区域ごとに解禁されていった。それにもかかわらず、繁殖力の強いエゾシカは約30年前から北海道東部で増え始め、農林業被害や交通事故が問題化。ここ10年は、生息域が西へ拡大して北海道全域に広がった。

 「急増した要因は多数あるが、いずれも人間が関わっている」と水島さん。

 要因の一つには、天敵だったエゾオオカミが絶滅して繁殖しやすくなったことがある。大量死を引き起こす大雪が少なくなったことや、エサ場となる牧草地が広がったことなども頭数の急増につながった。また、道東での道路整備が進んだ際、道路の法面(のりめん)に草が植えられことなどが考えられるという。

 肉を料理に

 生息域の拡大に伴い、食害などへの対策が急務となっている。その一つが、捕獲したエゾシカを無駄に殺すのではなく、肉や皮革を有効に利用することだ。

 安全なシカ肉を流通させるため、食肉処理施設の認証制度などが整ってきており、北海道や首都圏など各地の飲食店でエゾシカのステーキやカツレツなどが食べられるようになった。企画展では、捕獲に用いられる囲いわなや加工食品のレトルトカレー、つくだ煮の瓶詰なども展示している。

 水島さんは「道東では増加は落ち着いてきたが、札幌近郊などでは増えている。野生動物と人間との関わりを考える機会にしてほしい」と話している。

 企画展「エゾシカ」は12月15日まで。月曜休館。

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