日がな一日風が吹き、竹がしなり、葉の揺れる音がずっと聞こえる。
周囲12・8キロの小さな竹島は、名前のとおり島中に竹林が広がっている。リュウキュウチクと呼ばれる細くて華奢(きゃしゃ)な竹だが、島を全面に覆えば一つの巨大な生命体に見える。
鹿児島市の港から、船で約3時間かけて渡島する。港の近くに集落はあるが、建物や道路以外は竹の姿が目立つ。標高220メートルのマゴメ山は頂まで竹の絨毯が敷かれ、麓の竹を刈った牧草地では牛がのんびりと草を食(は)んでいる。竹の絨毯を割いたような島の舗道を走ると、突如竹やぶの中から猫や牛が姿を見せることもあった。
もはや竹のない場所にだけ、人の存在がうかがえる島だと思った。だからこそ、竹という強靱(きょうじん)な生命体と共存し、かつて人の暮らしが過酷であったことは容易に想像できた。
「実際に、島には姥捨山があったんですよ」
そう言って案内してくれたのは、民宿はまゆりのオーナーだ。
竹に行く手を阻まれながら道なき道を進むと、小さな祠(ほこら)がひっそりと佇(たたず)んでいた。その昔、家族一人が食べて生きていくのがやっとの暮らしで、年老いた人たちはここに連れてこられ、置き去りにされたという。島の言い伝えによれば、家族と暮らしたかったであろう彼らの無念をなだめるため、後に祠が置かれたらしい。
島はインフラが整備されたのも遅く、島の人が終戦を知ったのもだいぶ遅れてからだったとオーナーに聞いた。