ヘルスケア

「第2波」で死者約4倍になったスペイン風邪、新型コロナも要警戒 (1/2ページ)

 約100年前にパンデミック(世界的な大流行)を引き起こし、日本でも多数の死者を出したインフルエンザ「スペイン風邪」。新型コロナウイルスの感染拡大で改めて注目されているが、計3回の流行期で最も死者が多かったのは2回目だった。あっという間に重症化し命を落とす若者もいるなど、当時の資料からも、その猛威はうかがえる。国内では新規感染者数が減少している新型コロナも「第2波」への懸念は根強く、専門家は「検査の拡充と対策を緩めないことが重要」と訴える。(大渡美咲)

 名誉の任務が暗転

 《武蔵野ノ風肌ニ徹し團員中健康ヲ害スルモノ数輩 君亦第四日ニ於テ微恙アリ 直ニ静養ヲ命じ ヒタスラ恢復(かいふく)ヲ期ス》

 静岡県牧之原市に住む山本美恵子さん(82)の自宅から見つかった、流行性感冒(スペイン風邪)に罹患(りかん)し大正9(1920)年に亡くなった祖父、良平さん=享年(23)=の葬儀で読まれた弔辞の一節だ。

 当時の東京には、同年に創建された明治神宮の「御造園奉仕(ごぞうえんほうし)」のため、全国各地から青年が上京していた。同県榛原郡勝間田村(現・牧之原市)に住んでいた良平さんもその一人だった。

 榛原郡からは良平さんをはじめ70人の若者が選ばれ、2月17日に東京へ到着。18日から工事が始まったが、良平さんは21日に微熱が出始め、22日には高熱になった。感染者を隔離する「避病院」と呼ばれた東京地方衛生会立大久保病院(現・東京都保健医療公社大久保病院)に搬送され治療を施されたが、27日に息を引き取った。

 美恵子さんは、良平さんの父で美恵子さんの曽祖父に当たる佐七さんから「(良平さんは)感冒で亡くなった」と聞いていたという。新型コロナの流行後、「もしかして(良平さんは)スペイン風邪だったのでは」と孫が口にしたのをきっかけに家の中を探したところ、冒頭のものを含む計9通の弔辞が見つかったという。

 冒頭の弔辞は、良平さんとともに奉仕に向かった団長の男性が良平さんの葬儀で読んだもの。ほかの弔辞にも、良平さんが上京から亡くなるまでの様子が克明に記されていた。

 農家だった良平さんは、いずれの弔辞にも《模範青年》と書かれており、造園奉仕に選ばれるほど肉体的にも壮健だったとみられる。中には《榮誉ナラズヤ(中略)大家二木博士 特ニ力ヲ致しテ四天ノ術ヲ施ス》との文言も。「二木博士」とは文化勲章を受章した細菌免疫学の権威、二木(ふたき)謙三医師とみられ、入院中に高度な医療を施されていたことがうかがえる。

 だが裏を返せば、若者が発症から1週間ほどで死に至るほどスペイン風邪は重症化しやすかったともいえる。

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