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「紫電改」の実物大模型が人気に、搭乗体験ができる操縦席も公開

 先の大戦末期に生まれた戦闘機「紫電改」の実物大模型を水戸市の看板制作会社が制作し、兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡で公開している。9月6日からは搭乗体験ができる操縦席の実物大模型も公開し、同市の人気観光スポットとなりつつある。制作を担当した「広洋社」の斎藤裕行専務(52)は「戦争のことを理解することが平和教育の1つ。飾り立てず、事実を正直に伝えるための取っ掛かりとして模型を役立ててもらいたい」と力を込める。(永井大輔)

 紫電改は、旧日本海軍が主に日本本土を空襲する米軍機の迎撃に用いた戦闘機で、正式名称は紫電二一型。同飛行場に隣接する工場などで組み立てられていた。

 平成28年から同飛行場跡地を管理する加西市が、郷土史をたどる材料として同社に紫電改の実物大模型の制作を依頼。昨年6月から、毎月第1、3日曜に一般公開されている。

 零戦の実物大模型

 加西市から500キロ以上離れた水戸市の同社に白羽の矢が立ったのは、予科練平和記念館(茨城県阿見町)で展示されている零戦の実物大模型がきっかけだ。

 同社では10年ほど前から同館に看板や展示ケースなどを納品しており、当時の館長から「大きい零戦の模型も作れないか」と依頼があったという。当時、斎藤専務は「緑色の羽根の飛行機は全部零戦」と思っていたほど知識がなく、まさにゼロからの零戦模型作りだった。

 数十冊の参考図書を集め、実物の零戦を見るために全国を回った。「想像以上に大きくて驚いた」と斎藤専務。平成25年から2年の制作期間を経て、同館に納めることができた。

 乏しい資料から

 加西市の目にとまったのが、この零戦模型だった。同市から紫電改模型の依頼が舞い込み、29年に制作をスタート。だが、零戦が約1万機作られたのに対し、紫電改は400機程度しか製造されておらず、参考資料も乏しかった。国内で実機があるのは愛媛県のみ。斎藤専務は「プロペラの先から尾翼まで全て難しかった」と振り返る。

 昨年6月にようやく完成。納品後、リアルな模型を見た加西市民や観光客から「紫電改のコックピットにも乗りたい」という声が相次いだ。これを受け、同社は搭乗可能な操縦席の模型を制作。9月6日から鶉野飛行場跡で展示と搭乗体験ができるようになった。

 新型コロナウイルスの影響で遠距離への旅行が控えられる中、同飛行場跡は、地元小中学校の秋の遠足のルートにもなり、1日約1千人が集まるにぎわいを見せる。戦中に紫電改を操縦していたという元パイロットや、製造に関わった100歳を超える技術者も訪れたという。

 斎藤専務は「子供からお年寄りまで多くの人が戦争を知るきっかけとして、平和教育に役立ててほしい」と語る。また、加西市の盛況ぶりを見て「地元でもこういった地域を盛り上げる仕事に挑戦したい」と意気込んでいる。

 【紫電改】 正式名称は紫電二一型。戦前、戦中に主に日本海軍用の航空機を手がけた川西航空機(現在の新明和工業)が設計・開発した。水上戦闘機「強風」が母体で、そのフロートを取り払い、陸上機へ改装したのが兄貴分の紫電一一型。さらに空中での運動性能向上を目指し、大幅な設計変更を行い誕生したのが二一型だ。実戦配備は昭和20年の年明けとなり、約400機の生産にとどまった。愛媛県の松山基地に置かれた第343航空隊の紫電改が米軍機との交戦で多大な戦果を挙げたとの記録がある。

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