まさかの法的トラブル処方箋

男女共同参画と単独親権の矛盾 結婚が破綻…そこに潜む法律の“罠” その2 (1/2ページ)

上野晃
上野晃

 21世紀は女性の時代と言われています。#Me Too運動をはじめ、世界中で女性パワーが盛り上がっています。もちろん、わが国も例外ではありません。「女性活躍推進」「男女共同参画」など、社会で女性の活躍を求める声は、日に日に大きくなっています。しかしながら、一方でこんな声もあります。

 「男女共同参画っていうけれど、他の先進国と比べて一向に女性の社会進出が進まない」

 「ジェンダーギャップ指数 日本は世界で最低レベル」

 女性の社会進出に異を唱える声など、少なくとも公には全くといっていいほど聞かれません。にもかかわらず、日本は世界と比べて女性の社会進出が進まない。原因はどこにあるのでしょう。さまざまな要因が考えられますが、その大きな原因の一つとして、私は単独親権制度、そしてそれに伴う親子の離別があると考えています。

単独親権制度の背景に“子供は家の所有物”との考え方

 現在の民法以前の民法、いわゆる明治民法には、こんな規定があります。

 「子ハ其ノ家ニ在ル父ノ親権ニ服ス」(旧877条1項本文)。かつて、母親に親権はありませんでした。こんな規定もあります。「子ハ父ノ家ニ入ル」(旧733条1項)。つまり、子供は「家」の所有物だったのですね。子供が独立した人格なんて考えは、これっぽっちもなかったわけです。というわけで、「『家」を追われた母が子供と生き別れになるなんて、まあ仕方ないよねー」の世界だったのです。

 戦後、民法が改められて、男女平等の理念の下、母親も親権を得られるようになりました。が、戦前の名残で離婚の際の親権者を父親とする流れは戦後しばらく続きます。その時代、裁判所の決定でこんなものがあります。「我が子に会いたいという相手方の一途な気持も十分理解し得るし同情も禁じ得ないのではあるが…蔭から事件本人の健全な成育を祈っていることが、事件本人を幸せにすることになる…事件本人のことが気にかかるときは人を通じてその様子を聞くなり、密かに事件本人の姿を垣間見て、その見聞した成長ぶりに満足すべき…子のために自己の感情を抑制すべきときはこれを抑制するのが母としての子に対する真の愛というべき」(昭和40年12月8日東京高裁決定)。

 要は、「離婚して親権がなくなったのだから子供と会えなくたって我慢しろや!」ということです。根底には、子供は父親の「家」のモノ、という考えが透けて見えます。その後、男は仕事・女は家庭という考え方と核家族化の進行が合わさって、1970年頃には母親が親権者となるケースが多くなっていきました。「女は家庭」という考え方とセットになって、「子供は母親のモノ」という考えが広く浸透していきます。同時に、母親による子連れ別居があれば自動的に「母親親権」となるという方程式が作られていきました。

 今、離婚後に子供と会えず悩んでいる多数は父親です。日本の裁判所は、昭和40年12月の東京高裁決定から基本的スタンスを変えていません。ただ、男女が逆転しただけ。父親と子供が生き別れになっても、「まあ仕方ないよねー」と。つまり、日本の裁判所では、いまだに子供は家の所有物という考え方が残っているのです。「父親の家」から「母親の家」に移っただけで…。

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