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休日のたびに…念願の地方移住したのに「都会がよかった」と後悔する理由 (2/2ページ)

 地方では人びとがその地域に定住しており、幼稚園や小学校から大人になるまで一緒というように人間関係が固定化されている。堅牢な共同体がそこに築かれているのである。したがって大人も子どもも、外からやってきて仲間の輪に入るのは容易ではない。

 そのいっぽうで、定住する以上は地域の一員としての役割を果たすことが求められる。多くの地域では若者の流出が進み、地域の担い手不足に頭を痛めている。そのため移住者にも地域のさまざまな役職が割り当てられ、休日のたびに会合や催しに駆り立てられる。しかも休日に家族でレジャーを楽しんだり、旅行に出かけたりする文化が根づいていないので、周囲から奇異な目でみられることもある。

 要するに人の流動性が低い地域では、共同体への全面的な帰属が期待され、異質な生活様式に対する許容度が低い傾向がある。このようにテレワーク浸透の前には、職場と地域の両方で厚い共同体の壁が立ちはだかっているのである。

 周囲を気にしすぎて休めない日本人

 ただ、ここでも見過ごせないのは、合理性を超越した共同体主義の影響である。その点に注目してみよう。

 日本企業で働いた経験のある外国人が異口同音に語ることがある。「日本人は会社にいることが仕事だと思っている」というのだ。それは「帰りにくさ」「休みにくさ」にもつながる。

 日本では正社員の労働時間が主要国の中で突出して長い状態が続いており、その主な原因は残業の多さである。そこで正社員6000人を対象に行われた調査の結果をみると、残業時間を増やしていた要因のトップは「周りの人が働いていると帰りにくい雰囲気」だった。(パーソル総合研究所・中原淳「長時間労働に関する実態調査」2017年実施)

 また有給休暇もヨーロッパではほぼ100%取得されているが、日本では長年50%程度で推移している。有給休暇を残す理由について尋ねた調査では、「休むと職場の他の人に迷惑をかけるから」(60.2%)、「職場の周囲の人が取らないので年休が取りにくいから」(42.2%)、「上司がいい顔をしないから」(33.3%)という回答が上位に入っている。(労働政策研究・研修機構「年次有給休暇の取得に関する調査」2010年(複数回答))

 そして仕事の成果よりも出勤していること、会社にいることに重きを置く風土はコロナ禍でまた厄介な問題を露見させた。

 多くの経営者が言うには、営業などテレワークができる部署に対する、製造などテレワークができない部署からのやっかみ、不公平感がとても強いそうだ。ある会社ではやむなく営業のスタッフ全員を雇用から業務委託に切り替えたという。

 効率性よりも「誰も損しない」が優先される

 この問題の根はとても深い。なぜなら、効率性の論理と共同体の論理が正面からぶつかっているからである。

 単純な経済学の論理からいえば、報酬は貢献への、あるいは提供した労働力への対価である。しかし共同体の論理に照らせば、共同体の一員としてどれだけ苦労したか、犠牲を払ったかに応じて報われるべきだという理屈になる。

 閉鎖的な共同体の中は、だれかが得をするとだれかが損をする「ゼロサム」構造になっている。したがって公平を期すためには、大きな負担をした人ほど報われなければならないのである。

 たとえば同じ仕事でも定時にやり終えて帰る人より、時間をかけて残業した人のほうが多くの収入を得るのは不合理なようだが、それだけ自由時間を犠牲にしたと思えば周囲は納得する。

 しかも実際に後者のほうを評価する管理職は少なくない。また業務上の必要があるか否かにかかわらず一律に転勤させるのも、転勤や長時間残業を受け入れてきた総合職を一般職より高い地位まで昇進させるのも、建前はともかく本音としては負担の不公平を感じさせないためという理由が背景にある。

 要するに日本の職場では効率性の論理と共同体の論理が渾然一体となっており、それが問題を複雑にする。一貫した論理の欠如がしばしばご都合主義や、恣意的な人事を招くことになる。そしてテレワークの普及や雇用形態の見直しなど、働き方改革も中途半端なものにとどめてしまう。

 共同体の論理が支配する社会の末路

 なお、すでに述べたとおり国や地方自治体なども広い意味では共同体型組織である。したがって、そこでもしばしば成果より負担や犠牲が重視される。

 いわゆる公務員バッシングはその典型である。たとえば役所の職員が定時に退庁し、休暇をめいっぱい取得したり、良好な環境で快適に働いていたりすると住民からクレームがくることがあるという。そのため非効率だとわかっていても夏場に冷房をつけず、薄暗い中で残業をするような光景がみられる。

 総理が自粛期間中に会食をしただけで責任を追及されるし、逆に「汗をかく」とか、「自ら身を切る」といえば多くの国民・住民は納得する。総理といえども同じ共同体の一員であるかぎり、一般国民と同じように共同体の規範、共同体の論理に従うことを最優先させられる。何を成し遂げたかは二の次なのだ。

 また、かつてオリンピック出場選手が出発に際し、「楽しんできます」と挨拶しバッシングされたことがあったのを覚えている人もいるだろう。国から支援を受け、国の代表として参加する以上は「楽しむ」なんてもってのほかで、精一杯がんばる姿を示さなければならない。

 五輪生活をエンジョイする姿をさらしながら金メダルを獲っても世間の批判は避けられないが、死力を尽くして敗退したらその姿は賞賛される。そういう光景を私たちはどれだけ目にしてきたことか。

 共同体の論理が支配し続ける以上、組織や社会の改革は必ずといってよいほど暗礁に乗り上げることを覚悟しなければならない。

 太田 肇(おおた・はじめ)

 同志社大学政策学部教授

 1954年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学博士(経済学)。必要以上に同調を迫る日本の組織に反対し、「個人を尊重する組織」を専門に研究している。ライフワークは、「組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくる」こと。著書に『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)をはじめ、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)『「超」働き方改革--四次元の「分ける」戦略』(ちくま新書)などがあり、海外でもさまざまな書籍が翻訳されている。近著に『同調圧力の正体』(PHP新書)がある。

 (同志社大学政策学部教授 太田 肇)(PRESIDENT Online)

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