鉄道業界インサイド

東京五輪のレガシー…鉄道関連は? 新規整備なくとも「質」の部分で成果あり (1/2ページ)

枝久保達也
枝久保達也

 日本の復興を印象付けた東海道新幹線

 新型コロナウイルス感染拡大により、史上初めて1年延期となった2020年東京オリンピックが8月9日に閉幕した。感染「第5波」により新規陽性者数が増え続ける状況下での開催に、開幕直前に行われた世論調査では過半数が反対と回答。「コロナに打ち勝った証し」とのお題目は無かったことに。さらに開会式の楽曲を担当していたミュージシャンの小山田圭吾氏が辞任、「ショーディレクター」を務めていた小林賢太郎氏が過去の問題発言により解任される事態となり、祝賀ムードとはほど遠い幕開けとなった。

 そんな中、日本選手団は健闘し、金メダル27個を含む58個のメダルを獲得。政府や与党から流れる「始まってしまえば盛り上がる」との見立ては、半分は的中し、半分は外れた。選手たちに賛辞が贈られる一方、彼らの本心である「政権浮揚」は不発に終わり、内閣支持率調査は政権発足以降、過去最悪を更新し続けている。

 オリンピックとの付き合い方は難しい。1940年に予定されていた東京オリンピックは日中戦争の泥沼化を受けて開催権を返上。1964年の東京オリンピックでは東海道新幹線や首都高速道路などの整備が進み、日本の復興を印象付けるものとなったが、2020年の東京オリンピックはコロナ禍が直撃し、延期と縮小を余儀なくされた。3回の東京オリンピックは日本の盛衰を象徴しているかのようだ。

 近代日本と共に歩んできた鉄道もまた、それぞれのオリンピックに深く関わっている。1940年大会の招致は開催4年前の1936年に決まっているが、その準備は順調とはほど遠いものであった。メインスタジアムの立地を巡って明治神宮外苑案と埋立地案が対立し紛糾。最終的に駒沢(現在の駒沢オリンピック公園)に会場を建設する方針が決まったのは1938年4月のことだった。

 メインスタジアムのアクセス手段として位置づけられたのが、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄が1936年から1938年にかけて免許申請した渋谷~祐天寺~駒沢~成城学園間の新線計画であった。この路線は線路幅を東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線)と同じ1435ミリとして、都心から郊外まで直通運転する計画だった。

 しかし、開催までの2年余でこのような路線を建設することは事実上、不可能であっただろう。1938年7月に開催権返上が決定するとメインスタジアムは着工することなく建設中止に。新線の構想も白紙となり、戦後も建設されることはなかった。

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