父からの教え…絵を切り口に考えること 日本画家・絹谷香菜子さん

2014.6.8 12:14

 多様な動物をモチーフにした花鳥画で注目を集める若手日本画家、絹谷香菜子さん(29)は、日本におけるアフレスコ画(フレスコ画)の第一人者として日本の洋画壇で活躍してきた幸二さん(71)の次女。美術の世界へ進もうと決めたのは中学2年の頃。幼稚園から大学までエスカレーター式に進める学校に通っていたが、「大学は別の所に行きたい」と思ったのがきっかけだ。

 「興味があったのは海や生物に関すること。叔母が海洋学者で自分も、と思ったけど、学者になるほど頭が良くない。海の水の中にいる感覚が好きなのですが、この『自分が良い』と思う感覚が言葉では伝わらない。どうしたら伝わるかと考えたとき、父のように絵で表現するのがいいかも、と思った」

 アフレスコ画は石灰と砂をこねたしっくいを壁に塗り、乾き切らないうちに水を含ませた顔料で描く。日本画は天然鉱物を細かく砕いた岩絵の具などを膠(にかわ)で溶いて描く。香菜子さんが日本画を選んだのは、オープンキャンパスで訪れた美大で岩絵の具の色の美しさにひかれたためだ。子供の頃から幸二さんのアトリエで目にしていた鮮やかな色の顔料に通じるものでもあった。

 幸二さんは香菜子さんの美大進学に、「美大に行くんだ。頑張ってね」と言うぐらい。美大では、親から反対されて入学してきた同級生も多かっただけに、すんなりと進学できたのはありがたかった。一方で、幸二さんが世間的に評価されている画家であることに初めて気づく。

 「父が絵を描く人で、大学で教えていることは知っていたけど、私にとってはただのお父さん。教科書に父の絵が載っていても、友達も『幸二の絵が載ってるね』と言うぐらい。すごいと思ったことがなかった」

 大学では「お父さんの力で入学したんでしょ」と陰口を言う子もいた。打たれ強い性格なので何を言われても平気だったが、自分でも「どこまで私自身の力が認められているんだろう」と悩むこともあった。幸二さんは国内の美術コンクールで審査員を務めることも多く、審査員でなくてもみんなが幸二さんのことを知っている。「絹谷」の名字のない雅号で応募することも考えたが、連絡先や本名を隠しての応募はできない。結局、大学時代、香菜子さんは一度もコンクールに出品しなかった。

 子供の頃、幸二さんは長期の休みには必ず海外旅行に連れて行ってくれた。タヒチでゴーギャンの軌跡をたどり、スペインでアルタミラ洞窟の壁画を見た。海や山など自然いっぱいの中で遊び、必ず現地の美術館を訪れた。

 大学時代は「重い」と思った幸二さんの存在だが、幸二さんが父だったから今の自分があると思えるようになった。

 「父は放任的で、私に絵のことはほとんど教えなかった。それは一つのことを強制したくなかったからかも。いろんな国に行き、文化に触れたことで、物事はそれ一つで成り立っているのでなく、全てがつながっていることを自然に学んだ。絵を切り口に、自然環境や歴史、文化などさまざまな分野に思いを巡らせ、つなげることも父の絵や生活から学んだ。将来は父を超え、世界に通用する画家になりたいですね」(平沢裕子)

 ≪メッセージ≫

 死ぬまで絵筆を握って頑張ってほしい。私もお父さん以上に頑張ります。

【プロフィル】絹谷幸二

 きぬたに・こうじ 昭和18年、奈良市生まれ。東京芸大油画科卒、同大大学院壁画科修了。46年、イタリアに私費留学し、アフレスコ画の研究に取り組む。多彩な色で描かれた人物などが特徴。東京芸大名誉教授、日本芸術院会員。

【プロフィル】絹谷香菜子

 きぬたに・かなこ 昭和60年、東京都生まれ。多摩美大日本画科卒、東京芸大大学院美術研究科修了。平成23年、吉野石膏(せっこう)美術財団在外研修員として1年間、ロンドン芸術大で学ぶ。個展を開く傍ら、子供絵画造形教室「ぱれっと」広尾の特別講師も務める。

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