【書評】『眠る魚』坂東眞砂子著

2014.6.21 14:11

 ■「戻る場所の存在」の意味

 今年1月、55歳という若さで亡くなった坂東眞砂子氏のウェブ連載小説が、未完のまま出版された。

 1月10日の更新分が最後となったこの物語は、南太平洋のバヌアツに暮らす伊都部彩実が東日本大震災のニュースに触れた場面から始まる。

 その後、彩実は父の訃報を聞いて故郷に一時帰国する。報道で目にした震災後の放射能汚染が心配だったが、驚いたことに家族や親戚(しんせき)はまったく危機感を持っていない。病気や突然死が増えていると聞き、放射能が原因ではと案じる彩実に対して故郷の人々はアオイロコという風土病のせいだと言うのだ。現実から目を逸(そ)らしているとしか思えないその言動に、彩実の違和感は膨れ上がる。そしてついに彩実の体にも異変が-。

 舞台は、今より少しばかり未来である。彩実が暮らす町も「関東平野の片隅」という記述があるだけで、地名などはすべて架空だ。

 しかしここに綴(つづ)られる出来事は実にリアル。特に、急増する病気や奇形植物を目の当たりにしながら、原発事故などなかったかのように日常を送る人々の描写には、まるで足元に蛇が這(は)っているかのような不気味さを感じた。

 けれど読み進むうちに見えてくる。生まれ育った土地は危険だからといって簡単に捨てられない。彩実も早くバヌアツに帰りたいと思っていたのに、実家が人手に渡ると聞いて思いがけず動揺するのである。人にとって「戻る場所の存在」がどれほど意味を持っているか、その場所を奪われることがどれほど魂を削(そ)ぐか。だから彼らは蓋をした。

 それが正しい選択だとは言えない。少なくとも合理的ではない。けれどここにあるのはまぎれもなく、慣れ親しんだ日本人のメンタリティだ。

 想定外の事態に出逢(あ)い、自力ではどうしようもなくなったときの、人の諦めと足掻(あが)きの両方が本書にある。バヌアツから帰国し、舌癌(がん)を患う主人公の姿が著者に重なった。坂東さんが最期の場所に選んだのは、土地と家屋のある高知の地だったという。未完の絶筆は、著者が読者に遺(のこ)した問いかけなのである。(集英社・本体1300円+税)

 評・大矢博子(書評家)

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