幕末、明治とどめた「古写真」 学問として解読、語り始める歴史

2016.1.9 17:07

 幕末から明治ごろにかけて日本で撮影された古写真について、関心が高まっている。文書に比べ歴史資料として軽視されがちだった古写真を読み解き、情報を引き出す「歴史写真学」が提唱されているほか、当時の撮影技法を現在に蘇(よみがえ)らせた写真館もオープンしている。(磨井慎吾)

 撮影時期を確定

 西郷隆盛や坂本龍馬、高杉晋作ら明治維新に関わる有名人が一堂に会し、オランダ出身の宣教師フルベッキを囲んで慶応元(1865)年2月に撮影した記念写真-。

 かつてそう紹介され、複製が高額で販売されることもあった通称「フルベッキ写真」の正体が、古写真研究の進展によって解明されつつある。

 古写真研究家の高橋信一・元慶応大准教授(66)によると、この写真は幕末から明治初期にかけて長崎に置かれた佐賀藩藩校「致遠館」の教員・生徒らを同地で写したもの。もちろん西郷や坂本らは写っておらず、人物のほとんどは佐賀藩士。明治元(1868)年10月に入った岩倉具視の息子2人の姿があることなどから、撮影時期も同年末に近いころとほぼ確定しているという。

 同写真については、約40年前に老舗出版社の歴史専門誌で「西郷隆盛らが写った写真」とする説が出され、近年まで表立った反論がなされなかったため、今でも一部で“幕末有名人の集合写真”と誤解されている。高橋さんは「これまでの歴史研究者が写真にあまり注目してこなかった結果、誤った説が広まってしまった。古写真については、もっと学問的な研究が必要」と訴える。

 膨大な枚数参照

 写真館の敷物や小道具の微妙な変化から撮影年代を特定する-。膨大な古写真を蓄積・整理し、相互に参照して共通点や相違点を検討することで、単に1枚の写真を眺めただけでは分からなかったものが見えてくる。

 こうした手法で学問的に古写真を研究し、歴史情報を引き出す学問「歴史写真学」の確立を目指しているのが倉持基(もとい)・大東文化大非常勤講師(45)。近年、東大や長崎大、国際日本文化研究センターなどの研究機関で所蔵古写真のデジタル化が進んだことも追い風になり、「古写真の撮影年代や写真師の特定が、10年くらい前からできるようになってきた」と説明する。

 「従来の古写真は文書史料の傍証として副次的に扱われてきたが、写真から語ることができる歴史もあるのでは」。倉持さんは3年前、若い研究者を中心にした「古写真調査研究会」を設立。これからさらに研究を深めたいと意欲を語る。

 現代に蘇る湿板

 幕末から明治初期にかけて撮影された古写真の多くは、湿板写真と呼ばれるものだ。カメラに感光剤を塗ったガラス板をセットし、乾かないうちに素早く撮影する手法で、日本では安政年間に伝来し、明治中期ごろまで用いられた。その後に発明されたフィルムと比べて手間がかかり、廃れて久しい撮影技法だが、ガラスに焼き付けられた画像には独特な深い陰影がある。

 昨年2月、東京・日暮里にオープンした「湿板写真館」は、その名の通り湿板でポートレートを撮影してくれる日本でも希少な写真館(キャビネサイズ1万5千円、要予約(電)03・5814・8914)。同館を経営する写真家の和田高広さん(52)によると、数年前に湿板撮影が可能な古い木製カメラを入手したのがきっかけで、戦前からのレトロな町並みが残る日暮里・谷中地域の町おこしに貢献したいという思いもあって開業に踏み切ったという。

 すでに失われた技術だけに、ガラスに塗る薬剤の調合やライトの当て方、撮影後の現像処理など、初歩から手探りで試行錯誤を繰り返す必要があった。「始めてからも5回に1回は失敗。思った以上に手間が掛かった」

 和田さんは湿板写真の魅力について「何と言っても、デジタルともフィルムとも違う黒の濃さ。普通の黒ではなく、密度の濃い締まった重みがある」と話している。

閉じる