【書をほどき 知をつむぐ】樹?それとも草? 分類できぬ隙間に宿るカオス 『竹の民俗誌 日本文化の深層を探る』沖浦和光著 学習院大教授・赤坂憲雄

2017.10.15 14:09

 たとえば、竹という植物は樹なのか、それとも草なのか、と問いかけてみればいい。答えに窮するにちがいない。それはどうやら、植物の分類概念から逸脱する特異な存在なのである。あの南方熊楠が夢中になったことで知られる粘菌が植物なのか、動物なのか、分類しがたい生き物であることを思いだすのもいい。こうした分類体系の隙間にこそ、カオスが曖昧模糊(もこ)として宿る。だから、竹にはなにかしら神秘的な霊力が認められてきた。月を故郷とするマレビトとしてのかぐや姫が、竹から誕生するのは、偶然ではない。

 じつは、この『竹の民俗誌』の著者である沖浦和光さんは、まるで自画像でも描くかのように、この本を執筆したのではなかったかと、わたしは疑っている。みずからを竹に重ねていなかったはずがない。沖浦さんはいかがわしい、分類不能の存在であり、たとえば竹藪(たけやぶ)に棲(す)む賢者のような人であった。藪医者のヤブは野巫である、と沖浦さんは説いた。その漂わせるいかがわしさは、まさしく野巫としての聖なる勲章ではなかったか。

 それにしても、あらためて竹である。これがじつに面白い。廃虚となったムラの跡を訪ねると、倒れた竹林に遭遇することがある。竹林は人の暮らしのかたわらにある。山奥には見られない。北限は福島あたりか。箕(み)などの農具の材料が、竹から樹皮に変わることで、それがわかる。かつて、わたしの勤める福島県立博物館で『樹と竹』という特別展を開催したことがある。民俗の学芸員は、鹿児島から運ばれてきた竹の民具の群れがそのかさに比して、あまりに軽量であることに呆然(ぼうぜん)とさせられた。かれらは樹や樹皮の民具しか扱ったことがなかったのである。樹の民具はたいへん重い。

 日本列島における竹の原郷は南九州である。日本神話のなかの竹の伝承は隼人にかかわり、南のアジアへとつながっていく。『古事記』の海幸・山幸説話などは、その明らかな証言者といっていい。『竹の民俗誌』はまさに、日本列島の基層文化に流れ込んでくる水脈のひとつを、竹をめぐるフォークロアや伝承、そして芸能や祭りなどの掘り起こしを通じて発見した、記念碑的な著作なのである。

 思えば、沖浦さんの故郷は、みずから語るところによれば、平家の落人伝説が残る安芸国鞆の浦の平である。この瀬戸内海の海の民の末裔(まつえい)は、隼人系であった可能性があるという。沖浦さんはみずからのルーツを求めて、瀬戸内海から南九州へ、そして遠くインドネシアの島々へと、フィールドワークの旅を重ねていたのである。

 「あとがき」には、彼が訪ね歩いた被差別部落という底辺からの視座に立つとき、「人の世の冷たさ、あたたかさ--すべてのものがよく見える」とあった。その生涯を賭けた仕事のなかには、頑なまでに、「人間とは何か」「人間いかに生きるべきか」という根源的な問いにたいする応答が見いだされる。この竹藪にたたずむ巫者の声に耳を傾けねばならない。(岩波新書・780円+税)

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