フィリピンの失敗は、財政事情はあるにせよ海空軍整備を怠ってきた点。海軍の場合、第二次世界大戦(1939~45年)を戦った米英海軍の老朽・軽武装艦のみの保有が続いた。そこで2011年から、米沿岸警備隊の中古巡視船導入が始まる。イタリア製フリゲート購入計画も進めるなど、初めて中国海軍の潜水艦を意識した陣立(じんだて)に舵を切った。ただし05年以降、空軍にジェット戦闘機は皆無。今後も、軽攻撃機導入しか予定されていない。
安全保障上の国際拠点たる自覚の希薄も、国家を危うくした。スービック/クラーク両基地ともに1975年まで続いたベトナム戦争では重要な出撃拠点で、その後も軍艦・戦闘機への補給・修理に不可欠だった。スービックは既に1884年、スペインが海軍基地として利用。98年、米西戦争に勝った米国も引き継いだ。大東亜戦争開戦直後の1942年には、大日本帝國(こく)陸海軍が占領。クラークと周辺にも多くの飛行場から成る飛行場群を構築した。
列強戦略の一翼を担(かつ)がされ、特に基地をめぐる比米地位協定の「不公平」は「米国の植民地ではない」と、比国民の反発を招いた側面はある。主権国家の矜恃に目覚めた点は良かった。ただ冷戦終結で、脅威が低下したと錯覚。在比米軍を抑止力として利用する国益まで放棄してしまった。左翼や華僑の世論誘導があったともいわれる。