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日本の悲しみと誇りを詠む89歳の歌人 岡野弘彦という伝統に浸りたい 松岡正剛 (1/5ページ)

2013.11.18 17:30

【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)

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 先日、文化功労者に選ばれたばかりの岡野先生をわが「未詳倶楽部」に招き、みんなでその謦咳(けいがい)に接した。招いたといっても、先生が40年以上住まわれてきた地元の東伊豆の宿に来ていただき、われわれ数十人がそこに勝手に押しかけたといったほうがいい。

 先生は三重の山奥の神主の子に生まれたせいか、ずっと海の見える土地に住みたかったそうだ。日本の海辺は、師の折口信夫が解いてみせたように「マレビトの地」である。日本人は海からやってくる寄り神をマレビトとして迎え、一年ずつのマツリを伝えてきた。さらに伊豆の地は役の小角(えんのおづぬ)や頼朝がそうであったように、「流され者」が仮留する地でもあった。先生はあえてそういう伊豆を選んだのだという。

 ところでぼくは、岡野弘彦歌集を読むたびに、いったい何度胸をつまらせてきただろうか。そもそも処女歌集の『冬の家族』にしてからが、昭和28(1953)年に折口信夫(おりくち・しのぶ)に連れられて、池田弥三郎(いけだ・やさぶろう)・戸板康二(といた・やすじ)・伊馬春部(いま・はるべ)らとともにゆったり川奈ホテルに泊まったとき、その夜に激情とともに蘇ってきた8年前の記憶が一連の歌となったことをきっかけに上梓された歌集だった。

「日本」や「歌」が存分に活動しきってこなかった

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