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「オリンピックに出る!」強い気持ちが必要 萩原智子 (1/5ページ)

2013.12.18 17:30

1998年に首都バンコクで行われたアジア大会の200メートル背泳ぎで金メダルを獲得した萩原智子選手(左)と中村真衣選手=1998年12月12日、タイ(ロイター)

1998年に首都バンコクで行われたアジア大会の200メートル背泳ぎで金メダルを獲得した萩原智子選手(左)と中村真衣選手=1998年12月12日、タイ(ロイター)【拡大】

  • 【笑顔のアスリート学】萩原智子さん。1980年4月13日、山梨県生まれ。身長178センチの大型スイマーとして、2000年シドニー五輪女子200メートル背泳ぎ4位、女子200メートル個人メドレーで8位入賞。02年の日本選手権で史上初の4冠達成。04年にいったん現役引退し、09年に復帰。子宮内膜症、卵巣嚢腫(のうしゅ)の手術を乗り越え、現在は講演、水泳教室やキャスターなどの仕事をこなす=2007年7月17日(提供写真)

 【笑顔のアスリート学】

 2020年東京五輪・パラリンピックが決まったいま、改めて私自身が五輪を目指した日々を思い出すことが多い。

 振り返って記憶によみがえるのは、厳しくも温かく見守ってくれた家族や先輩たちの言葉かもしれない。

 「オリンピックへ行きたいな」。そう心に抱いたのは、1992年バルセロナ五輪の女子200メートル平泳ぎで、当時14歳だった岩崎恭子さんが史上最年少金メダルを獲得したのをテレビで見た瞬間だった。

 そのときの私は小学6年生。すでに水泳と出会い、トップを目指していた時期でもあった。五輪というものに憧れを抱き、小学校の卒業文集にも、「水泳でオリンピック選手になりたい」と書いた。

 その夢に向かって、順調に過ごした中学時代。自己ベストのタイムがぐんぐんと伸び、中学3年時には、200メートル背泳ぎで、日本歴代2位となる記録を樹立した。周囲からも、将来の「五輪候補選手」として持ち上げられるようになった。

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