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「オリンピックに出る!」強い気持ちが必要 萩原智子 (2/5ページ)

2013.12.18 17:30

1998年に首都バンコクで行われたアジア大会の200メートル背泳ぎで金メダルを獲得した萩原智子選手(左)と中村真衣選手=1998年12月12日、タイ(ロイター)

1998年に首都バンコクで行われたアジア大会の200メートル背泳ぎで金メダルを獲得した萩原智子選手(左)と中村真衣選手=1998年12月12日、タイ(ロイター)【拡大】

  • 【笑顔のアスリート学】萩原智子さん。1980年4月13日、山梨県生まれ。身長178センチの大型スイマーとして、2000年シドニー五輪女子200メートル背泳ぎ4位、女子200メートル個人メドレーで8位入賞。02年の日本選手権で史上初の4冠達成。04年にいったん現役引退し、09年に復帰。子宮内膜症、卵巣嚢腫(のうしゅ)の手術を乗り越え、現在は講演、水泳教室やキャスターなどの仕事をこなす=2007年7月17日(提供写真)

 叱ってくれた母

 私の中でも翌年に控えた96年アトランタ五輪が見えていた。しかし、当時の私は、思春期の真っただ中でもあった。好記録をマークしたことで、ただ速いだけなのに、「私は偉いんだ!」と勘違いしてしまうようになった。反抗期でもあり、家族に反抗することはなかったが、スイミングクラブの指導者に生意気な態度を取るようになった。好記録を出したことで心は完全に浮ついた状態に。そして事件は起こった。

 練習に集中していない様子を見かねた指導者から、「そんな泳ぎをするなら、家に帰れ」と怒鳴られたのだ。普通なら謝って気持ちを引き締めるのに、私はすぐにプールから上がると、「ラッキー!」とそのまま帰宅したのだ。

 いま思い返しても、とんでもない反抗期だ。そんな私のいつもより早い帰宅に、母からは理由をしつこく聞かれた。自分自身が悪いことは百も承知なので言いたくなかったが、最後は白状するしかなかった。

 すると、母は私の練習かばんを玄関の外へ投げ捨てて、私の背中を外へ押し出した。そのまま玄関のカギを閉められ、「コーチに謝ってこないと、家に入れない」と叱られた。私は泣きながら、クラブに戻り、謝って許してもらった。あの時、母が叱ってくれなかったら…。勘違いした“天狗(てんぐ)”は、自分自身を見失い、夢まで見えなくなっていたはずだ。

「克己心が大切」 人に勝つことよりも、自分自身に打ち勝つことの方が、よほど難しい

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