しかし、そのような考えが一般的になるのは、手塚治虫の作品が子供向け雑誌を席巻するようになった50年代以降のこと。それまでは、新聞に載っているような風刺の効いた、あるいはナンセンスな笑いを提供する大人向けのイラストをマンガと言っていた。佐世男同様「大人マンガ」の世界で活躍していた一人に、やなせたかし(1919~2013年)がいる。やなせも「大人マンガ」の凋落とともにいったんマンガ界から消えかかるが、「アンパンマン」のヒットで復活したのはご存じの通り。やなせのように、絵本を活躍の場に移した「大人マンガ家」は少なくない。
モンローに会えず
佐世男が忘れられている2つ目の理由は、彼が48歳の若さで亡くなってしまったことだろう。その亡くなり方はとてもドラマチックだ。当時人気絶頂のマンガ家だった佐世男は、日本にやってくるマリリン・モンローにインタビューし、その艶姿を絵にすることが決まっていた。ところが、そのモンローの来日当日、心筋梗塞のため、帰らぬ人となってしまう。もし予定通りモンローに会っていたら、その映像と、彼が描いたであろう絵は、佐世男の名前とともに、歴史の重要な証拠として、私たちの記憶に刻まれていたことだろう。