他の絵は知られなくても、今も「麗子像」で多くのファンを持つ劉生は、17歳から洋画界の重鎮・黒田清輝(1866~1924年)に絵を学んだあと、印象派のゴッホやセザンヌの手法も会得、デューラーや北方ルネサンスにも影響され、細密な写実を重視する「草土社」を結成する。才能あふれる作品ばかりだが、38歳という若さで亡くなる20年余りの創作活動の中で、画風は千変万化した。
麗子との濃密な時間
親子3代に共通する精神性は「どんな境遇でもへこたれないチャレンジ性。一つの場所に安住せず、リスクを恐れず、新しい世界に飛び込んでいく前向きさ」(世田谷美術館の杉山悦子企画担当課長)だという。
波瀾万丈の人生の中で吟香は、多くの分野にエネルギッシュに取り組んだ。劉生も結核を克服したばかりでなく、1923(大正12)年の関東大震災で家が半壊しても、壊れた家の上で家族と記念撮影し、不敵な笑みを浮かべている。麗子は第二次世界大戦の疎開生活中でも、寺に子供を集めオペレッタを上演するなど、明るさや積極性を失わなかった。