一方で、潰走を始めた清國軍将兵は軍服を脱ぎ捨て、民家に押し入り民間人の服に着替えた。《便衣兵》である。便衣兵は脱走の機会をうかがい、民家に籠もり帝國陸軍将兵を狙撃した。法律顧問として従軍した国際法学者・有賀長雄博士(1860~1921年)は「清國は全く戦争法規を守らない」と指弾するとともに、日清戦争時の《万国戦時公報 陸戦条規》の中でも銃殺を合法と断じた。一部外国紙は、非戦闘員に偽装した便衣兵に対する応射を「虐殺」と誤報したのだった。
魚釣島に関し大嘘を投稿
日露戦争(1904~05年)前夜にも、欧州各紙が「日本人の外国人への憎悪が増し、日露が戦うと在日外国人が虐殺される」と伝えたが、これにも反論を発信した。
《外国人への憎悪や敵意は日本に存在しない。単身、あるいはメイドを連れただけで、外国人の婦人が日本各地を旅行している。在日外国人は仮に戦時下になっても日清戦争同様、全く安全である》