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計算された軽妙さという魔法 「デュフィ展」 (2/5ページ)

2014.5.26 11:20

【デュフィ展】「ニースの窓辺」1928年_島根県立美術館。(C)ADAGP、Paris&JASPAR,Tokyo,2014_E0972

【デュフィ展】「ニースの窓辺」1928年_島根県立美術館。(C)ADAGP、Paris&JASPAR,Tokyo,2014_E0972【拡大】

  • 【デュフィ展】「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」1952年_油彩、カンヴァス_パリ国立近代美術館、ポンビドゥー・センター。(C)Centre_Pompidou,MNAM-CCI,Dist.RMNーGrand_Palais/Jean-Claude_Planchet/Distributed_by_AMF
  • 【デュフィ展】「トゥルーヴィルのポスター」1906年_油彩、カンヴァス。パリ国立近代美術館、ポンビドゥー・センター。(C)Centre_Pompidou,MNAM-CCI,Dist.RMNーGrand_Palais/Philippe_Migeat/Distributed
  • 【デュフィ展】「レスタックのアーケード」1908年_パリ国立近代美術館、ポンビドゥー・センター(カンティーニ美術館、マルセイユ_寄託)。(C)Centre_Pompidou,MNAM-CCI,Dist.RMNーGrand_Palais/Jean-Francois_Tomasian/Distributed_by_AMF
  • 【デュフィ展】「たちあおい」1918年(シルクにプリント)_ビアンキーニ=フェリエ社のテキスタイル_島根県立石見美術館。(C)ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2014_E0972

 しかし、デュフィの画業の経歴を知れば、こうした画風は、さまざまな経験を積んだデュフィが、苦心の末に編み出した「魔法」だということに気づく。

 デュフィが、自分の画風を確立したのは、1920年以降、40歳を過ぎてから。それまでの約20年間は、苦悩と試行錯誤の日々だった。

 色面が光を表す

 新境地を開くきっかけとなったのが、布地などのデザイン「テキスタイル」、とくにファッションデザイナーのポール・ポワレ(1879~1944年)との出会いだ。Bunkamuraザ・ミュージアムの宮澤政男チーフキュレーターは「その出会いがなければ、今のデュフィはなかった」と言い切る。

 ポワレは、木版画を手がけていたデュフィを見初め、ファッションの生地のプリントに、デュフィの絵柄を採用した。宮澤チーフキュレーターは「生地のプリントで生じる色のずれやにじみが、色彩と輪郭線(フォルム)が自律する(別々に描かれる)デュフィの独特な画風につながっていった」と指摘する。

「絵の具の色が光を生む」との独自の理論

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