しかし、デュフィの画業の経歴を知れば、こうした画風は、さまざまな経験を積んだデュフィが、苦心の末に編み出した「魔法」だということに気づく。
デュフィが、自分の画風を確立したのは、1920年以降、40歳を過ぎてから。それまでの約20年間は、苦悩と試行錯誤の日々だった。
色面が光を表す
新境地を開くきっかけとなったのが、布地などのデザイン「テキスタイル」、とくにファッションデザイナーのポール・ポワレ(1879~1944年)との出会いだ。Bunkamuraザ・ミュージアムの宮澤政男チーフキュレーターは「その出会いがなければ、今のデュフィはなかった」と言い切る。
ポワレは、木版画を手がけていたデュフィを見初め、ファッションの生地のプリントに、デュフィの絵柄を採用した。宮澤チーフキュレーターは「生地のプリントで生じる色のずれやにじみが、色彩と輪郭線(フォルム)が自律する(別々に描かれる)デュフィの独特な画風につながっていった」と指摘する。