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【軍事情勢】戦争の導火線に利用されたサッカー

2014.7.5 09:00

ホンジュラス対エルサルバドルのW杯予選で、コーナーキックを蹴る選手を盾でガードする警察官。「サッカー戦争」の記憶は両国にまだ生々しく残っている=2009年10月14日、サンサルバドル(ロイター)

ホンジュラス対エルサルバドルのW杯予選で、コーナーキックを蹴る選手を盾でガードする警察官。「サッカー戦争」の記憶は両国にまだ生々しく残っている=2009年10月14日、サンサルバドル(ロイター)【拡大】

 サッカーW杯ブラジル大会1次リーグH組最下位・韓国代表の解団式(6月30日)で、男性が「アメでも食ってろ!」と叫び、数十個を投げつけた。《謹弔 韓国サッカーは死んだ》との横断幕も掲げられた。特定選手の「義理起用」への抗議だという。C組最下位の日本代表にも注文はあったが、批判は控えめだった。実際、アルベルト・ザッケローニ監督(61)は「日本のファンはW杯に勝ったかのように温かく接してくれた」と感謝し帰国した。しかし世界に目を転じると、サッカーの勝敗が殺人や国交断絶(アルゼンチンとウルグアイ)にまで至る。1969年には、エルサルバドルとホンジュラスの間で《サッカー戦争》と呼ばれる戦争が勃発してもいる。

 ■W杯予選が火に油

 両国は犠牲者2000人(3000/6000人説アリ)を出した。兵力は多く見積もって陸空軍合わせてエルサルバドル軍1万5000、ホンジュラス軍6000に過ぎぬ。作戦機も第二次世界大戦(1939~45年)当時か直後に運用されていた十数機のみ。戦闘も1週間未満、前哨戦~完全停戦まで入れても1カ月程度で終結しており、犠牲者数に民間人が算入されているとしても異常なほど多い。戦争のネーミング《サッカー》からは、勝敗でもめて戦端を開いたかの如く想像してしまうが、違う。国境・移民・貿易摩擦といった長年の問題がこじれたのだ。ただし、サッカー熱が火に油を注ぎ、政府がこれを導火線として利用した側面は紛れもない。

 W杯メキシコ大会(1970年)の出場権をかけた69年の北中米カリブ海予選で、両国は準決勝ラウンドに駒を進める。ホンジュラスでの第1戦前日には、エルサルバドル代表の泊まるホテルを取り囲んだホンジュラス国民が一晩中、投石などで騒擾を起こし選手の安眠を妨げた。ホンジュラスが1-0で勝利する一方で、敗戦を苦にしたエルサルバドル女性(18)が拳銃自殺し、葬儀に大統領や閣僚が駆けつける事態に発展した。

 エルサルバドルでの第2戦。エルサルバドル国民も前夜、ホンジュラス代表の宿泊ホテル周辺で狼藉を働き、ホンジュラスのサポーター2人が殺され、車150台が放火された。ホンジュラス選手は装甲車が送迎し無事だったが、エルサルバドルが3-0で勝った。

 1勝1敗のプレーオフ=第3戦は会場・メキシコの治安当局が厳戒態勢を敷き、観客は2万人に制限(10万人収容スタジアム)、両国サポーターも緩衝帯で隔離された。結果は3-2でエルサルバドルが最終ラウンドに進出。戦争の1年後、W杯初出場を果たしたものの3戦全敗を喫した。

 ■第3戦前に予備役招集

 6月15日の第2戦で勝ったエルサルバドルは、激高したホンジュラス国民にエルサルバドル移民が迫害され1万2000人が母国に避難したと発表し、23日に国家非常事態宣言を発し予備役を招集。第3戦を翌日に控えた26日に国交断絶を宣言した。

 対するホンジュラスが、エルサルバドルからの不法移民数万~十数万人の国外追放と資産没収、国交断絶を発表したのは第3戦直後(27日)だった。

 耕作面積に比べ人口密度の高いエルサルバドルと、逆のホンジュラスの、相互利益が一致している間は移民問題を黙認し合い、条約も取り交わした。ところが、スペイン植民地時代以来の大地主所有の土地を、貧農や移民に貸し与える均田制をホンジュラスが先行採用すると、ホンジュラスは分配土地の入手先に困り始める。矛先は不法移民の耕作地に向いた。

 両軍ともに準決勝ラウンド以前より侵攻準備を完了していた。陸空における初の前哨戦は7月3日、初の本格的交戦は14日だった。戦史的には、レシプロ戦闘機同士による最後の空中戦が行われた。米軍が第二次大戦や朝鮮戦争(50~53年休戦)で投入した米軍レシプロ機コルセア系同士の初戦闘であり、コルセア系最後の撃墜記録も残した。既に、超音速の米軍F-4戦闘機ファントムが1960年末に運用開始。米軍F-15イーグル戦闘機も戦争3年後には初飛行していて、航空自衛隊では今尚主力戦闘機として現役だ。両国軍と米軍・自衛隊の織り成す対照は、現代兵器が計画→開発→教育→配備に永い年月と大きな予算を不可欠とする現実を象徴する。どちらかが、ジェット戦闘機を有していたら抑止力が効き、戦争回避できていた可能性もゼロではなかった。

 ■国交回復は11年後

 国交回復は1980年10月、11年ぶりに成った。翌月には両国のサッカー国際試合=W杯予選が再開した。

 だが当然、国交断絶は国境閉鎖→交易完全停止→経済危機との悪循環を生む。特に失業率20%のエルサルバドルでは、ホンジュラスから移民が大量帰還し就労環境は最悪に。ストライキや左翼ゲリラによる反政府テロ、外国系企業幹部を狙った身代金目的の誘拐事件も頻発。国軍と右翼武装組織の報復が行われた。

 斯くして、国交回復7カ月後には12年間も続く内戦を誘発。犠牲者7万5000人、亡命者推定100万人を出す。ホンジュラスへのエルサルバドル難民2万人が発生する皮肉も生む。

 雨期/乾期で地形が変動し未画定部分が長く、在って無き様な国境375キロは便利でも危険でもある。国交回復にせよ、国境の左翼ゲリラ基地掃討に向け、エルサルバドルとしてはホンジュラスの協力が必要だった。国境問題は、国交回復後四半世紀もかかり、2006年にやっと解決した。

 ところで、両国の宗主国スペインのメディアが、W杯ブラジル大会で早々と姿を消したスペイン代表が計上した経済損失を弾いた。報道は《最も恥ずかしい戦績》に加え、敗退が与えた損失は1390億~830億円と伝える。最も深刻な打撃は海岸に観戦用に設けられた臨時の“海の家”で、撤去を余儀なくされた。決勝トーナメント向け航空券も半数以上がキャンセル。関連グッズや酒類、飲食店などの消費も激減した。連覇すれば経済効果は最低2800億円で、590万人が臨時雇用にありつける皮算用だったとか。スペインは“大惨事”に見舞われたのである。

 それでも、サッカー戦争よりは幸運だ。空中戦はサッカーだけで良い。(政治部専門委員 野口裕之)

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