チョーさんの驚くべき真骨頂がどこにあるのかということは、傑作作品の数々を見てもらうしかありましぇん。けれど、あえて例示するなら次の選択にあるのであります。びっくりしないでください。「分別より分裂、普通の足より扁平足、髪よりも脳、ズボンよりもパンツ、焚き火よりも火事、太陽よりも月、人気よりも狂気、香水よりも洪水、礼よりも霊、のり巻よりもたつ巻…」! これが長新太のぶっちぎりなのであります。深くておかしな、へんてこ~なナンセンスですねえ。でも、いったい誰がこんな危ないこと、いま、言える?
チョーさんのマンガや絵本やイラストレーションはどれもこれも、何かがちょっとずつ変容するか変質するか、交配していくか、部分と全体が取り替わるか、突然変異するか、だいたいはそんなことをおこしてわれわれを置いてけぼりにすると、あとは空にアザラシが浮かんでいるか、ライオンが困っているかというふうになっています。いったいこれは何かと言うにですね、『絵本画家の日記』にはこんなふうに書いてあります。「ドローネー、カンディスキー、フォートリエ、ボイスといったものと絵本とがね、溶解してしまうことが肝要なのだよ」と。これは20世紀の最高美術を柔らかに絵本化してしまおうよという、とんでもない洒落です。きっと森村泰昌さんの魂胆にも通じるものでもありましょう。