作者が『吉原御免状』に仮説していた大胆な設定は、その後の『影武者徳川家康』や『花と火の帝』や『かくれさと苦界行』にも波及する。それは、出生の秘密をもつ家康は関ヶ原で死んでいて、ささら者の出身の影武者が神君家康を演じていたこと、その影武者が只者ではなかったこと、松永誠一郎は実は後水尾天皇の御落胤(ごらくいん)であり、それを八瀬童子たちが支えているといった設定だった。作者はこの仮説を明治の村岡素一郎の歴史論の片隅にヒントを得て膨らませていった。たんに仮説に溺れているのではない。吉原の風情といい、権力に抗する者たちの感覚描写といい、まことにすばらしい。
隆慶一郎の時代小説は、日本における真のアウトローを本気で浮上させていった。そして、傀儡、歩き巫女、捨て子、道々の輩(ともがら)、かぶき者、お尋ねもの、悪所(あくしょ)の仕立人、忍びの者たちが、実は紫微にけぶる「聖なる裏」とワープするが如くに深く結び付いていたことを、虚々実々の文章によって証していったのである。