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【野口裕之の軍事情勢】ワーゲン生みの親が設計したナチス戦車 ナチ親衛隊制服をデザインした有名ブランド (3/5ページ)

2015.10.5 06:00

1938年5月26日、フォルクスワーゲンの工場開所式で演説するアドルフ・ヒトラー。手前はヒトラーの肝煎りで設計された「ビートル」=ドイツ北西部・ファラースレーベン(AP)

1938年5月26日、フォルクスワーゲンの工場開所式で演説するアドルフ・ヒトラー。手前はヒトラーの肝煎りで設計された「ビートル」=ドイツ北西部・ファラースレーベン(AP)【拡大】

  • 工学技術者、フェルディナンド・ポルシェ博士(1875~1951年、提供写真)

 ハイブリッドの源流

 1941年に独ソ開戦に至るや、ソ連軍の中戦車T-34(32トン)や重戦車のKV-1(45トン)/KV-2(52トン)は大きな脅威であり、100トン級超重戦車の開発情報までもたらされた結果、ヒトラーは博士らに超重戦車の開発を命ずる。ソ連軍のT-34が砲身まですっぽり車内に収まる容積を有す巨漢マウスの駆動方法は、内燃機関で発電機を動かし、発生した電気で駆動用モーターを回す、博士お得意のハイブリッド式が採用された。

 しかし最大速度/登坂能力は計画値を下回り、燃費の悪さも想定を超えた。故障も目立った。機甲兵科の将軍は「機動戦闘力の低さ」、軍需省は「資源不足が確実視される中での資源浪費」を、徹底的に批判した。結局、計画は頓挫し、100~150輌が生産されるはずが、戦車の形として世に現れたのは試作車の2輌のみであった。

 ただ、博士はサスペンションの対応を考えた変速機いらずのモーター…など、極めて多くの技術を実現。戦車を兵器とはみなさず「技術を極めた作品」と考えていたように思う。天才博士のいちずな姿勢を、ある種の天才ヒトラーは理解し、信頼した。反面、ヒトラーは複数の技術者を競わせたが、最終的には兵器を専門とするライバル案が勝るケースが多かった。

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