今年のフランス映画祭で団長も務めたエマニュエル・ドゥヴォスさん=2015年6月27日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)【拡大】
《作家になることを目指していたヴィオレット(ドゥヴォス)は、フェミニズムの立場から作家活動を展開していたシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~86年、サンドリーヌ・キベルラン)と出会い、その才能を認められ、処女作『窒息』を出版した。ちなみにボーヴォワールは哲学者、ジャンポール・サルトル(1905~80年)のパートナーとしても知られている人物だ。『窒息』は文学界に衝撃を与えた。絶賛する声もあったが、女性が性を描くことを忌避する風潮がまだまだ強く残っていた当時のフランス社会では作品は受け入れてもらえなかった。失意の中、ヴィオレットはパリを離れ、自身の集大成となる作品『私生児』の執筆に着手する》
「母への批判」を体現
ドゥヴォスは撮影に入る前に、ヴィオレットが残したほとんどの著作を読み込み、ラジオやテレビでインタビューを受ける彼女のアーカイブ映像も視聴して、役作りに努めた。役作りはスムーズにできたようにも思う。「そもそも彼女の著作は、基本的に自分のことしか語っていないわけですからね」。