【BOOKWARE】
道士や方士がいる。護符や巫咒(ふしゅ)を重んじる。五嶽を崇め風水を展示して、太極に回帰する。ときに五斗米道や太平道を謳った。「タオイズム」といえば無為自然の老荘思想を含むけれど、「道教」というともっと呪術的であり、衒学(げんがく)的だった。
吉岡義豊さんに道教を教えられ、すぐにぞっこんになってアンリ・マスペロを読み耽り、「遊」で道教を特集した。ジョセフ・ニーダム夫妻(夫人が中国人)に現代の科学技術の目から見る道教の凄みを解いてもらったときは、目を洗われた。その後、道教というものは神仙タオイズムと陰陽タオイズムに分けてさかのぼってみたほうがいいと思って、けっこう二つの系譜を追った。そこには五行や易学や奇門遁甲や錬丹術が絡まりながら噴き出ていた。壮観だった。
すべては「道(タオ)」をめぐってはいるのだが、そこには北斗崇拝・山岳信仰・蓬莱山幻想・鉱物フェティシズム・清談思想が派生して、道教を一筋縄ではいかないものにした。道教の神々も階層性がない。陶弘景は『真霊位業図』で元始天尊を最高位においたけれど、ほかに太上道君や霊宝天尊や太上老君も並んできて、さらに関帝(三国志の関羽)なども加わって、神々は乱舞することになったのである。