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蠣崎波響の『夷酋列像』が訴える北方問題 江戸後期のエキゾチック・リアリズムの本領 松岡正剛 (1/3ページ)

2016.1.31 11:00

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 宝暦14(1764)年、松前藩の12代藩主松前資広の五男に生まれた弥次郎は、すぐに父が亡くなり兄の道広が家督を継いだので、家老蠣崎(かきざき)家の養子となった。幼い頃から絵を好み、叔父の奨めで安永2年に江戸に上って南蘋(なんぴん)派の建部凌岱と宋紫石に師事して独特のリアリズムを習得すると、天明20年に松前に戻り、波響と号して日本美術史ではめずらしい北方ならではの絵に打ち込んだ。

 そのころメナシ地方(北海道目梨郡羅臼)のアイヌ(蝦夷)たちは、毎年100雙近い船によってワシの羽根やラッコの皮を松前藩と行き来して、ときにクナシリ(国後)やエトロフ(択捉)の首長が藩主を訪ねてもいた。蠣崎波響はその異様で勇壮な姿に心を奪われていた。

 ところが寛政元(1789)年、藩の請負人(飛騨屋)の厳しい取引条件や労働環境の重圧に不満をもったクナシリ場所のアイヌが蜂起して、和人の商船を襲ったり殺害するに及んだ。今日では「クナシリ・メナシの乱」と呼ばれる。和人71人が殺された。戦闘を好まない首長たちはこれを抑えたのだが、アイヌの蜂起者はことごとく処刑された。

『蠣崎波響の生涯』『頼山陽とその時代』『木村蒹葭堂のサロン』

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