美学の世界で、美や崇高について学術的に研究するのは当たり前でも、羨望というのは聞いたことがない。けれども、ほかでもない美術展のさなかで浮かび上がってきたものなのだから、おそらくは、これもまたなにがしかのかたちで美にまつわる心情なのであろう。
強烈な「無関心」
美術の世界では、「自分で買わなければ理解したことにならない」という話がよく出る。私のように美術作品を買う趣味が一切ない者からすると、たわいもない戯言に思える。美術作品は、金を出して買えるものだけではないからだ。けれども、そんな私でさえ、これだけの品々を片端から手に入れ、それでいていちいち大事そうに愛でるわけでもない村上の強烈な「無関心」には、どうしようもなく不穏な気持ちを抱く。ましてや、少しでも美術品に手を出し、そのことを密(ひそ)かなプライドにしている者なら、自分のちっぽけな自尊心を木っ端みじんにされ、身悶(もだ)えするような嫉妬の念にかられるだろう。
そんなやり場のない感情に襲われるのは、なにも小コレクターだけには限るまい。私がもっとも気になったのは、なんら特別な愛情を寄せられた形跡のないまま、まるで壁や床で晒しの刑のようになっている作品の作り手たちのことだ。