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東日本大震災5年 「あの日」そして「いま」(3) 唯一残ったのは形見のネックレス (1/5ページ)

2016.3.10 11:00

5年前のあの日の日時が印字された切符。「家が流され、全てをなくした。震災前からの持ち物で残っているのはこの切符しかない」=2016年2月20日、宮城県東松島市(宮崎瑞穂撮影)

5年前のあの日の日時が印字された切符。「家が流され、全てをなくした。震災前からの持ち物で残っているのはこの切符しかない」=2016年2月20日、宮城県東松島市(宮崎瑞穂撮影)【拡大】

  • 本業は建築士だが、シンガー・ソングライターとして精力的に活動。高校時代に北上川の河川敷で歌を作って以来、地元をテーマにした歌を歌い続ける=2016年2月12日、宮城県石巻市(宮崎瑞穂撮影)
  • 津波で流された後に見つかったオイカワデニムのジーンズ。砂などの汚れはあったが、糸のほつれは全くなかったという=2016年2月5日、宮城県気仙沼市(鴨川一也撮影)
  • 「カットインみなと」では震災の時に津波の被害に遭い、新たに研ぎ直したハサミを使用している=2016年2月9日午後、岩手県下閉伊郡山田町(納冨康撮影)
  • 震災の時に津波に遭ったものの、奇跡の復活を遂げた音楽バー「はっぴいえんど」にある約2500枚ほどのレコード=2016年2月11日午後、宮城県石巻市(納冨康撮影)
  • 岩手県下閉伊郡山田町、宮城県気仙沼市、宮城県石巻市、宮城県東松島市

 ≪刻印、相棒、奇跡 思い出すよすが≫

 宮城県石巻市の漁業、佐藤のり子さん(52)は、津波で家を失った。家だけでなく、家財道具もなにからなにまで失った。唯一残ったのは、震災当日身に付けていた伯母の形見のネックレスだけ。

 あの日、突然強い揺れに襲われた。軽トラックで高台を目指して避難した。「孫が帰ってこない。迎えに行ってくれませんか」。荷物を取りに自宅に戻ろうとしていたときに、車を持っていない知り合いの女性からそう頼まれた。大急ぎで保育所に向かい、4歳の女の子を避難場所に連れ帰った。津波が街を襲ったのは、それから20分ほどしてからのことだ。

 「人の命を救えたのだから、あの時の選択は今でも後悔していません」。佐藤さんはりんとした表情で話した。

 5年前の東日本大震災による津波は、家や家財道具だけでなく、大切にしている品や思い出の品など心のよりどころとなる物まで奪っていった。奇跡的にがれきの中から見つけて再会したり、地震の瞬間に持っていたりなどして、その後の“心の支え”となった品々を伝える。

列車はたまたま高台に止まり、難を逃れた

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