福島県大熊町で暮らしていた佐久間国幸さん(66)の父、国丸さん=当時(83)=は東京電力福島第1原発事故による避難生活から約1年後、元の町から約100キロ離れた福島県会津若松市の仮設住宅で亡くなった。福島県遺族代表として追悼の言葉を述べた佐久間さんは、父がふるさと大熊町に抱いていた熱い思いを語った。
避難先を転々とした末でやっと落ち着いた仮設住宅。突然の動脈瘤破裂が原因だった。「大熊町に死ぬまでに戻りたい。ここでは死にたくない」と、繰り返し口にしていた父。佐久間さんは「83年間過ごした大熊に帰してやりたかった」と悔しがる。
父は戦後に畑を開墾し、町名産の梨作りで身を立てたのが自慢だった。佐久間さんも後継者として畑を守っていくつもりだったが、除染で出た廃棄物の中間貯蔵施設が建設されることに。「戻りたいけど戻れない。地震だけなら再起もできるが、放射能でそれもかなわない」