原発へのレッテル貼りは必要か

2014.3.3 14:50

 【安倍政権考】

 自民党が、政府のエネルギー基本計画案に対する党内議論を開始した。来週からは与党ワーキングチームも設置し、公明党との調整も同時並行で進める方針だという。

 この計画の政府案をめぐっては自民党内に、早期に了承すべきとする賛成派と、時間をかけて議論し修正を加えるべきという慎重派がいる。公明党も原案のまま党内手続きを進めることには慎重だ。高市早苗自民党政調会長が主張するように3月中に与党内手続きを終え、閣議決定するというのは容易ではなさそうだ。

 このまま原発の再稼働を1基も許さず、「原発即時ゼロ」へと向かうことが民意とは言えないことは、2月9日の東京都知事選の結果からも明らか。当面の目標は原発ゼロではなく、電力供給源を多様化する「ベストミックス」の達成にある。

 問題は、その目標に向かう中で、自民党内にいる一部の「脱原発派」議員が主張しているように、原発について「過渡的なエネルギー」というレッテルを貼ることが本当に必要なのかということだ。

 彼らの懸念は、東京電力福島第1原発事故への反省を忘れて、原発政策を推進する勢力が現れることだろう。だから「過渡的エネルギー」と申し渡すことで、そうした勢力が“増長”するのを防ぐ狙いがあるとみられる。

 もっとも、原発の再稼働は、事業者である電力会社の判断ではできない。政府の判断でもできない。原子力規制委員会の定める基準と審査をパスしなければいけないからだ。

 週末の首相官邸前交差点では「原発即時ゼロ」を訴えるデモ参加者から「安倍晋三は恥を知れ」というシュプレヒコールが繰り返されているが、政府も安倍晋三首相も再稼働の可否を判断する権限を持っていない。規制委の「世界一厳しい安全基準」に沿って厳格に審査・管理されるなら、事故の反省は生かされているのではないか。

 国が「過渡的エネルギー」という看板を掲げてしまうと、原子力の研究者や技術者が近い将来、いなくなってしまうだろう。

 ただでさえ、東電から人材が逃げ出していると問題視された(それはそれで、別の職業意識の問題だが)。原子力を研究する機関も、学ぼうという若者もいなくなるだろう。

 原発依存度を高めようとしている国もあるから、すでに原子力分野で確かな技術や知識を持つ人材が、それらの国に流出することも考えられる。国内の家電メーカーの技術者が蓄積してきた技術を持って、中国や韓国のメーカーに移ったのと同じだ。

 しかし、現に原発は国内に存在し、管理が長期にわたる核廃棄物を扱う技術も必要だ。再生可能エネルギーの開発に集中をすればよいという意見もあるが、それにも程度がある。

 昨年(2013年)、「21世紀への階段」という本が復刻された。1960年に当時の中曽根康弘科学技術庁長官が企画立案し、当代の碩学たちが、“未来”の科学技術や暮らしの進歩を予想した読み物で、ベストセラーになったという。

 科学の万能を信じた高度経済成長期の熱気そのままに、「原子力時代は花盛り」「核融合反応で燃料問題は全て解決」などと書かれていて、今となっては無邪気な空想本という酷評もある。一方で、原子力潜水艦(著作では「原子力潜水船」)など実現したものもある。

 科学の大発見や技術開発のひらめきは、空想や忌避を超えることに端を発することは、科学の歴史が示しているところではないか。(佐々木美恵/SANKEI EXPRESS)

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