【タイガ-生命の森へ-】「野生ミツバチの巣を見てくれ」 伊藤健次

2014.4.6 12:45

 「野生ミツバチが養蜂箱の中に巣をつくったらしい。村を離れる前に一度見てきてくれないか」

 東京にいる友人の野口栄一郎にクラスヌィ・ヤール村から電話をすると、そんな注文を受けた。

 野口は森林保全のNGOスタッフとしてこの村に来て以来、もう十数年村人と交流を続けている。今はタイガフォーラムという新団体でエコツアーのコーディネートや現地での活動を担う稀有(けう)な男だ。最近よく日本の若者は内向きになったと聞く。だがウスリータイガの片隅で自分のできることを探し、汗を流し続ける人間もいる。東京にいながら村の養蜂箱に起きた“ニュース”をキャッチできるのは彼くらいだろう。

 村で養蜂に使われているのは西洋ミツバチなのだが、在来野生種の東洋ミツバチが、まれに巣箱に入ってくることがあるという。東洋ミツバチは普通、木の洞(うろ)に巣をつくる。僕も気にしていたもののタイガでは本物の巣を見たことがなかった。

 ハチ自体も丹念に見ないと区別は難しい。

 「どの巣が野生ミツバチの巣か分かるのか?」

 野口に聞くと「僕も見たことがない。とにかくきれいなレモンイエローが目印らしい」という答えが返ってきた。

 ≪色や形に魅了され…覚悟決めた≫

 翌朝。村を出る前、いつもお世話になっている猟師組合長のお父さんであるアルカディア・イゴールビッチを訪ねた。村はずれの組合長の家は畑や雑木林に囲まれ、馬が飼われている。緩やかな小川が裏を流れ、水面をのぞくと小魚の群が輝いている。北海道の自宅周辺によく似たのどかな風景だ。

 「野生のミツバチの巣があると聞いて見に来たのですが」

 イゴールに尋ねると、

 「ああ、あるよ。でも見にいくなら着替えないとな」と言ってゆっくり椅子から立ち上がった。着替える? 一瞬疑問がわいたが「あんた、頭にかぶる網はあるか」と聞かれてわかった。巣箱を開けると当然、ハチたちが興奮して出てくるので防御のためだ。僕も用意していた虫よけネットを頭から被って彼についていった。

 家の裏には養蜂箱が20個ほど並んでおり、川岸に作業小屋がある。

 小屋に入ったイゴールは細々とした道具が並んだ一角に座り、ハチを落ち着かせる燻煙(くんえん)器に火をつけた。

 迷彩服のズボンを脱ぎ、白いズボンにはき替える。薄い水色の長袖シャツを羽織ってボタンを首まできちんと締める。

 白煙が漂う薄暗い小屋での一連の作業は、何だか神聖な儀式に向かう準備のようだ。

 イゴールが燻煙器を手に数ある養蜂箱の一つに歩み寄り、蓋を開けた。するとそこには、鮮やかなレモンイエローの巣が柔らかな弧を描いてたれさがっているではないか。話に聞いた通りだ。これが野生ミツバチの巣か。

 正確な六角の小部屋がこれまた緻密に並び、大小5つほど層になっている。少し崩れた巣の一角からはとろりとした蜜がのぞく。光り輝く蜜はもちろん、ハチの巣自体もおいしそうだ。

 そして見事な巣の周りには無数のハチ-。

 しまった、手袋がない。悔やんでイゴールを見ると彼もどういうわけか素手で箱の蓋をつかんでいる。僕はすっかり巣の色や形に魅入ってしまい、もう覚悟を決めて、ブンブン飛び回るハチの群れの中でシャッターを押した。

 他にも野生ミツバチの巣はあるのかと聞くと、この箱1つだという。もともと養蜂で使われているハチたちの動きを見て、巣箱を見つけて入ってくるのだろうか。面白い習性である。

 それにしても西洋であれ東洋であれ、巣を飛び立ち、森や野の花をめぐってはせっせと蜜を集めるミツバチとは何と働き者なのだろうか。タイガには良い蜜がとれるアムールシナノキも多く、森に囲まれた環境を生かして家庭でも上流の狩小屋でも養蜂を行っている。そしてお茶に入れたりパンに塗ったり、村人はよくハチミツを食べる。日本でも養蜂は西洋ミツバチの利用が多いが、近年は在来の東洋ミツバチによる養蜂が見直されている。撮影に夢中でうっかりしたが、いつか野生ミツバチが集めたタイガのハチミツを味わってみたいものだ。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS)

 ■ビキン川のタイガ ロシア沿海地方に広がる自然度の高い森。広葉樹と針葉樹がバランスよく混ざっており、絶滅に瀕したアムールトラをはじめ、多様な種類の野生動物が生息している。

 ■いとう・けんじ 写真家。1968年生まれ。北海道在住。北の自然と土地の記憶をテーマに撮影を続ける。著書に「山わたる風」(柏艪舎)など。「アルペンガイド(1)北海道の山 大雪山・十勝連峰」(山と渓谷社)が好評発売中。

 ■タイガフォーラム taigaforum.jp/

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